悪いのは誰?

承前*1

Arwa Mahdawi*2 “Who are the right blaming for the Texas shooting?” https://www.theguardian.com/us-news/2022/may/25/right-wing-blame-uvalde-shooting-transsexuals-immigrants-parents


テクサス州ユヴァルディ市の小学校襲撃・乱射事件。米国の右翼にとって、悪いのは「銃」ではない。
では、誰(何)が悪いのか? 共和党のポール・ゴーサー(Paul Gosar)下院議員*3は、犯人は「トランスセックスで左翼な非合法滞在の外国人(transsexual leftist illegal alien)」だとツィートした(後に削除)*4。また、悪いのはウクライナだと言う者もいた。政府は学校の武装強化に使うべき金でウクライナに武器を援助したから? さらに、悪いのは殺された小学生の親だという論に行き着いている。つまり、銃撃事件の犯人に子どもが殺されたのは、セキュリティのしっかりした私立学校ではなくセキュリティの甘い公立学校に子どもを通わせた親の自己責任であるという。
政府の責任にせよ親の自己責任にせよ、セキュリティを物理的に強化したりセキュリティ意識を高めたりすることがはたして最善なのかと、Arwa Mahdawiさんは問う。


Schools should not resemble prisons. They shouldn’t have to be fitted with barriers and staffed with armed guards to keep kids safe. Parents shouldn’t have to buy their children increasingly popular bulletproof backpacks*5. Kids shouldn’t have to go through active shooter-drills the moment they get into preschool. Not just because these sorts of measures are completely dystopian but because they aren’t actually effective. The vast majority of public schools – 96% in 2015 and 2016 – now conduct some form of lockdown drill. Rather than preparing kids for a shooting, some experts warn that they are just anxiety-inducing security theater.

Staffing schools with police officers is not the answer either. Since 1998, the government has invested over $1bn to increase police presence in schools; according to one study only 1% of schools reported having police officers on-site in 1975 but by 2018, about 58% of schools reported having a police presence*6. There were already armed school district police officers at the school in Uvalde and they did not stop the shooter, who was wearing body armor. A sergeant with the Texas department of public safety told CNN’s Anderson Cooper that “there were several law enforcement that engaged the suspect, but he was able to make entry into the school”*7.


If guns made people safer, then the United States would be the safest place in the world. How many more children have to die before the right accept that the answer to bad guys with guns is not good guys with guns, it’s getting rid of guns.
   

こんがらがって

船津衛「認識する私」*1(in 井上俊、船津衛編『自己と他者の社会学』、pp.3-20)


第2節「認識する「私」の不在」。


現代において、人々は「私」を認識することが困難な状態になってきている。多くの人々が「自分は何だかよくわからない」という「アイデンティティの喪失」を経験するようになっている。
そこから、自分を問い詰め、「自分には何もないのだ」と「自己否定」に走り、自傷行為や自殺を企てたりする。あるいは、反対に、自分の全面肯定、つまり、「自分は絶対であり、他の人はすべてだめだ」と思い込み、それが「他者否定」を行い、暴力行為や殺人を引き起こしてしまうようになる。(p.9)
ここで語られているのは、「現代」における「多くの人々」、つまり社会の成員の問題である。
さて、この「認識する「私」の不在」では、その次に、ウィリアム・ジェームズやジョージ・ハーバート・ミードが参照され、「認識する」「主我(I)」と「認識される」「客我(me)」という概念が紹介される(p.10ff.)。

「主我」は人間の経験において直接的にとらえることができない。それは姿を現したのちではじめて知りうるものなる。つまり、自我は常に「客我」として現れる。そして、「主我」は「客我」を通じて間接的に知られるものである。
したがって、ここから、「主我」はいったい何であるのか不明となる。それは「客我」とどう違うのか、「主我」の存在価値は何であるのか。「主我」概念は本当に必要なのかとさえいわれる*2。そして、「主我」概念の内容については正面から問われることが少なくなり、概念自体が表舞台から次第に姿を消してきている。
このように、概念の曖昧さによって、「主我」自体が放棄され、さらには消滅しつつある。認識される客体としての「私」に比べ、認識する主体としての「私」はあまり取り上げられなくなり、その存在自体が希薄化されてきている。すなわち、認識する「私」の不在がもたらされている。この認識する「私」の不在が「アイデンティティの喪失」を生み出すことにもなっている。(pp.11-12)
ここで語られているのは、実際に現代社会を生きる人間(社会の成員)のことではなく、現代社会を観察する社会学者或いは社会理論家の話だろう。「認識する「私」の不在」というのは、現実の社会内に存在しているのか否かということではなく、社会学の世界では最近「主我」というのは流行らなくなっているよね、という話である*3。しかし、ここで、話は社会学業界の内部話から、現実社会の社会問題の話に戻ってしまうのだ。眩暈する感覚。社会学において「主我」「 概念自体が表舞台から次第に姿を消してきている」ことが、現代人を悩ます「「アイデンティティの喪失」を生み出す」というのだろうか? 或いは、社会学者が「主我」をちゃんと語るようになれば、「アイデンティティの喪失」という社会問題は解決するというのだろうか? 全然よくわからない。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/05/29/083203 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/06/22/143920

*2:誰によって?

*3:そのことの事実性における真偽の問題は、ここでは問わない。

革靴を履かなくなった


車内のビロードのシートが、あちこち細長く切り取られて色の違う布で補綴されていた。車内にも窓の外にも美しい色彩や音楽はなかったような気がする。(向田邦子「拾う人」in 『無名仮名人名簿』、p.90)

id:redkitty

 電車の座席の布、靴磨きに最適だったと聞いたことがあります。
 今でも、切り取らないようにと貼り紙がある車両がありますが、今は何につかうのでしょう。

Yahoo! 知恵袋』ですが、

電車に座席のシート切りは犯罪ですという注意書きがある電車がたまにあります。
私が知っている範囲だと西武線とメトロの東西線にはその注意書きがあったんですが、沿線の民度が低いところだからでしょうか?
という質問があります*1。それに対して、

終戦後、それを四角に切って靴磨きに使ったの、靴磨きが路上に居たのは、銀座の交差点や新橋駅前。無論そんなのが横行したのは、昭和20年代の銀座線。今はどうだか知らないけど、駅の手前で電気の消えるタイプの電車に書いてたの覚えてる。でも、そんな文言不要になっても、残しちゃうから、今の基準で?になっちゃう。馬車ならぬ、車馬の取り扱いみたいに、今馬なんて、そこらに居ないのになぜだか残しちゃた注意書きみたいななもの。
という答えがあります。

石井光太*2「餓死、物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66375


銀座ではなく上野駅の話ですが、


さらに闇市の影響で上野駅がにぎわいだすと、子供たちは駅前で様々な商売をはじめた。「バタ屋(廃品回収業、ゴミ拾い)」「モク拾い(煙草の吸殻を拾って売る)」「新聞売り(新聞社で買ってきた新聞を少し利益を乗せて売る)」などだ。

人気があったのは靴みがきだ。靴みがきの少年は「シューシャインボーイ」と呼ばれていた。駅を出たところに、木箱を抱えてずらっと並んで、「靴みがきはどうですか」と叫んで客引きをする。

元浮浪児によれば、靴墨はチョコレートをくれる進駐軍の兵隊に頼んでPX(進駐軍専用の売店)から買ってきてもらい、靴を磨く布は電車の座席のシートをカッターで切ったものをつかっていたという。人々も浮浪児を哀れに思って積極的に靴をみがかせてあげていた。

また、石井の『浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち』も。敗戦後に浮浪児たちの「靴みがき」商売が成立した前提は、当時の大人は基本的に革靴を履いていたということだ。思ったのは、何時の間にか革靴を履かなくなったな、ということだ。現在、大人が布靴(スニーカー)で済ますというのはきわめて普通のこととなっている。

「矛盾的共生」の果てに

渡辺保*1「「矛盾的共生」二人の死の真相に迫る」『毎日新聞』2021年12月5日


大橋良介*2『〈芸道〉の生成 世阿弥と利休』の書評。
世阿弥*3千利休*4の「死の真相に迫っている」本だという。


世阿弥流罪も利休の切腹も、表向きの理由はともかくも、その真相は分かっていない。むろんそこには政治的な権力者と芸術家の対立があり、世俗の王者と芸術上の王者との対立があることは多くの人の指摘する通りである。その中で著者がユニークなのは、その両者の関係を見直している点である。すなわち著者は一般にいわれるように義教*5も信長も秀吉もただの暴君ではなく、深い美的な感性を持ち、立派な芸術家でもあったことを指摘する。
義教は、当時のひとかどの歌人であり、信長は美術の名品を収集し、秀吉も歌道にたけているばかりでなく書もよくする一流の文化人であった。三人は単に優れた鑑賞眼を持っていたばかりでなく、世阿弥や利休と同じ創造者であり、同じ世界の同志であった。と同時にそこに全く別な視点を持つに至ったために悲劇が起こる。たとえば義教は、享楽的外面的大衆的な美しさに惹かれ、世阿弥のストイックな求道的な美意識を疎ましく思った。しかし著者にいわせれば、この対立は政治権力と芸術の「矛盾的共生」というべき構造的なものであった。相手を否定しながらも相手の存在を必要とする存在。それは自分自身の中に相手と共通なものがあるからであり、それを意識するからこそまた相手を否定するという矛盾した関係であった。
この本が刺激的なのは、この構造の分析であり、それを明らかにすることによって世阿弥流罪、利休の切腹の謎を解いたからである。しかしそれだけではない。その謎を解くことによって、世阿弥や利休がその生命を賭けて発見し、守った芸術上の理念も明確にした。

この本のは白眉は、世阿弥の「風姿花伝」に「花」という理念と、その晩年の「花鏡」における「秘すれば花」といった時の「花」の対比であり、その人生の果てに世阿弥佐渡流罪になった道行を書いた「金島書」の分析である。
風姿花伝」の「花」は、内面から外面に匂い出るものであった。しかし「花鏡」の「秘すれば花」は、それとは逆に外面から隠された内面であった、この二つの「花」の対比分析はまことにあざやかで分かりやすい。とかく分かり難く見える「花」という理念をここまで明晰に描き出したのは画期的である。
さらにそれが「金島書」の分析によって世阿弥晩年の芸境が明らかになる。佐渡へ行く世阿弥にはさらに新しい、自由な境地が現れる、その件はこの一冊のクライマックスであり、最も刺激的なところである。

(前略)利休もまたその最後において、全てを捨てて自由になった。その利休の心境は、利休の言行を南坊宗啓が記した「南方録」の分析とともに、秀吉の側から描いて鮮明になった。
利休と秀吉は、単に芸術と政治の頂点に立ったばかりでなく、世阿弥と義教がそうであったように、深い鑑賞力で結ばれ、しかも相互補完的な同志でありながら、その最後の一点で違っていた。それは秀吉の次の様な和歌にも明確である。
 底意なき心の内を汲みてこそ
茶の湯者とは下れたりけり
「底意なき心の内」とはむろん様々な」意味に取ることが出来るが、「無心」とも採れるだろう。「無心」であることが自由であるという心境を秀吉が認めていること、しかしそれを外側から眺めている冷ややかな視線に二人の立地点の違いがある。

渡辺宙明

共同通信の記事;


作曲家の渡辺宙明さん死去 「マジンガーZ」主題歌など
6/27(月) 20:36配信


共同通信

 「マジンガーZ」「秘密戦隊ゴレンジャー」などアニメや特撮番組の主題歌を数多く手がけた作曲家の渡辺宙明(わたなべ・ちゅうめい、本名=みちあき)さん*1が23日午前4時、老衰による心不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。96歳。名古屋市出身。葬儀は関係者で行った。喪主は長男で作曲家の俊幸(としゆき)さん。

 1953年に中部日本放送のラジオドラマ「アトムボーイ」の音楽でデビュー後、多数の映画、テレビドラマで作曲を担当。72年に「人造人間キカイダー」と「マジンガーZ」の音楽を担って以降、特撮番組やアニメ作品を中心に活躍した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fa2ec935fb79e5bb63e75d13351bf9f903ad6e8

長男の渡辺俊幸*2って、さだまさしの編曲をしている人か。

叩かれる安冨

安冨歩*1のツィートが「れいわ」クラスタを炎上させているようだ。


まあ、三春充希氏*2も「もうしばらくお待ちください」といっているのだけど。

大雪の基準

澤田瞳子*1「古代の雪」『毎日新聞』2022年1月30日


蒸し暑いので、「大雪」の話を書き記す。


過去の統計を見ると、京都では1954年に1日で32センチの積雪が記録されたのが飛びぬけて目立つ積雪で、後は10センチから20センチの積雪が数年に一度ある程度だ。では今から1000年前、平安時代はどうだったのか。「この世をば わが世とぞ思う望月の」の歌で有名な貴族・藤原道長*2の日記『御堂関白日記』には天気の話題が頻出するが、その中でもっとも多い積雪量の記録は長保2(1000)年正月10日。「雪大降。一尺二寸許」とあるから、40センチ弱の積雪だ。その他の降雪記録は数センチから10センチ程度が大半なので、平安期の京都の積雪量は現在のそれと顕著な違いはないらしい。
鎌倉時代成立の説話集『古今著聞集』には、道長の約100年後に生きた白河上皇が大雪の日に外出した逸話が記されている。その日は前日から雪が降っており、上皇は近習から「吹きだまっている箇所は一尺(約30センチ)あまり、庭は八寸かた九寸(約24センチから27センチ)の雪が積もっています」との報告を受け、「ゆゆしき大雪にこそ」と答えたという。あえて現代風かつ関西弁に訳せばm「めっちゃ大雪やん!」だろうか。平安後期に編纂された歴史書『日本記略』には、天慶元(938)年にやはり一尺の雪が積もったとの記録があるので、どうも平安時代の貴族には一尺越えが大雪の目安だったらしい。

前述の白河上皇にも仕えた公卿・藤原宗忠の日記『中右記』には、寛治7(1093)年の年末から年明けにかけて、都の東北にそびえる比叡山*3に大雪が降ったとの記述がある。積雪量は1・5メートル近く、僧の寝起きする建物が崩れ、死者が複数出たとあり、相当な惨事である。この時は現在の岐阜県、愛知県、福井県や石川県も広く大雪となったが、肝心の都での積雪は大晦日に「五寸(15センチ)」ほど。翌日の元旦には「宿雪残庭(前日からの雪が庭に残っている)」状況ながら、必要な儀式は行われている。