「外国に住み、半ば故国を喪失している人たちの肖像」

渡辺保*1「故郷とは 人生とは何か」『毎日新聞』2021年3月20日


黒川創*2『ウィーン近郊』の書評。


西山奈緒は、兄優介急死の知らせに、幼い息子をつれてウィーンへ出発した。この小説は彼女が兄を埋葬して帰国するまでの物語。
「珍しく何も事件の起こらない、静寂に満ちた小説である」。また、「作者が描いたのは、 外国に住み、半ば故国を喪失している人たちの肖像である」とも。
最後のパラグラフ;

(前略)この小説で秀抜なのは、あの映画「第三の男」*3で有名なウィーンの中央墓地が登場し、雄介の葬列に参列した領事がその夜見た芝居がギリシャ悲劇の「アンティゴネ」であること。「第三の男」はご承知の通りグレアム・グリーンのスパイ小説が原作であり、「アンティゴネ」は妹が兄の亡骸を命を懸けて葬る悲劇である。しかもその台本を作ったのは、第二次世界大戦で米国に亡命していたブレヒトであった。国を裏切る男と国を喪失した兄を葬る妹の物語、それを書く亡命の劇作家。そこには静かな風景の中に流れる故国喪失の悲劇と、人生の意味を問う、作者の精神が生きている。