革靴を履かなくなった


車内のビロードのシートが、あちこち細長く切り取られて色の違う布で補綴されていた。車内にも窓の外にも美しい色彩や音楽はなかったような気がする。(向田邦子「拾う人」in 『無名仮名人名簿』、p.90)

id:redkitty

 電車の座席の布、靴磨きに最適だったと聞いたことがあります。
 今でも、切り取らないようにと貼り紙がある車両がありますが、今は何につかうのでしょう。

Yahoo! 知恵袋』ですが、

電車に座席のシート切りは犯罪ですという注意書きがある電車がたまにあります。
私が知っている範囲だと西武線とメトロの東西線にはその注意書きがあったんですが、沿線の民度が低いところだからでしょうか?
という質問があります*1。それに対して、

終戦後、それを四角に切って靴磨きに使ったの、靴磨きが路上に居たのは、銀座の交差点や新橋駅前。無論そんなのが横行したのは、昭和20年代の銀座線。今はどうだか知らないけど、駅の手前で電気の消えるタイプの電車に書いてたの覚えてる。でも、そんな文言不要になっても、残しちゃうから、今の基準で?になっちゃう。馬車ならぬ、車馬の取り扱いみたいに、今馬なんて、そこらに居ないのになぜだか残しちゃた注意書きみたいななもの。
という答えがあります。

石井光太*2「餓死、物乞い、スリ…戦争が生み出した「浮浪児」その厳しすぎる生活」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66375


銀座ではなく上野駅の話ですが、


さらに闇市の影響で上野駅がにぎわいだすと、子供たちは駅前で様々な商売をはじめた。「バタ屋(廃品回収業、ゴミ拾い)」「モク拾い(煙草の吸殻を拾って売る)」「新聞売り(新聞社で買ってきた新聞を少し利益を乗せて売る)」などだ。

人気があったのは靴みがきだ。靴みがきの少年は「シューシャインボーイ」と呼ばれていた。駅を出たところに、木箱を抱えてずらっと並んで、「靴みがきはどうですか」と叫んで客引きをする。

元浮浪児によれば、靴墨はチョコレートをくれる進駐軍の兵隊に頼んでPX(進駐軍専用の売店)から買ってきてもらい、靴を磨く布は電車の座席のシートをカッターで切ったものをつかっていたという。人々も浮浪児を哀れに思って積極的に靴をみがかせてあげていた。

また、石井の『浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち』も。敗戦後に浮浪児たちの「靴みがき」商売が成立した前提は、当時の大人は基本的に革靴を履いていたということだ。思ったのは、何時の間にか革靴を履かなくなったな、ということだ。現在、大人が布靴(スニーカー)で済ますというのはきわめて普通のこととなっている。