「本当に「罪深い」こと」

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180704/1530682338に対して、


redkitty*1 2018/07/08 09:48
>「事実」というのは「表現」というメディアを介してしかこの世界に登場することはできない。


今回、北条氏を擁護する人々の中に、上記を無視する(知らない)人が多いことに気づきました。ルポや事件当事者の表現=事実、だからそれをどう使おうといいのだ、と、芸術的に高度な表現になるのだからいいのだ、と言う人が多くて――。過去の高名な作家が訴えられた剽窃事件のいくつかを思い出してやりきれない気持ちになりました。井伏鱒二の「黒い雨」や立松和平のいくつかの作品など。盗用された側からすれば、引用や参照の方法や仁義をきったかどうかが問題なのではなく、自分の表現と大作家の表現と、その価値の差は何なんだ、ということなのでしょう。出版社など売る側からみれば、価値の差は歴然ですが、表現者(文字通り名もなき者でも)としては納得できない。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180704/1530682338#c1531010909

「「事実」というのは「表現」というメディアを介してしかこの世界に登場することはできない」というのは、トーマス・クーン『科学革命の構造』*2以降の科学史・科学論に親しんだ人ならば自明の事柄なんじゃないかと思っていました。それとは別に、redkittyさんのご指摘は、これから言及する金菱清氏の発言とも関係していると思います。
黒い雨 (新潮文庫)

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科学革命の構造

科学革命の構造

石戸諭*3芥川賞候補「美しい顔」は「彼らの言葉を奪った」 被災者手記・編者の思い」https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180707-00088468/


石戸氏曰く、


作者の北条裕子氏は「被災地に行ったことは一度もありません」と明らかにし、「被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いた」ことを「罪深い」と書いている。

 ところが、受賞後、石井光太さんのノンフィクション作品『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)や、金菱清編の手記『3.11 慟哭の記録 71人が体感した大津波原発・巨大地震』(新曜社)などの表現に酷似している部分があることが発覚。インターネット上でも大きな話題となっている。

 『遺体』については遺体安置所などの描写で類似点が指摘され、『慟哭の記録』からも10数箇所にわたる「類似部分」があったとしている。本当に「罪深い」ことはなんだったのか?

『3.11 慟哭の記録』の編者*4、金菱清氏へのインタヴュー。

金菱教授はこう語る。

《学生のレポートで参考文献をただコピペするのではなく、コピペしたものの表現を一部だけ変えたものをよく見かけます。私はこういうことはしてはいけないと学生に指導しています。

 「美しい顔」のディティールはそれと同じです。

 『慟哭の記録』は被災者、個々人が感じたとてつもない不条理に対する怒りや憤りを綴った手記です。その中には「美しい顔」で描かれたマスコミ批判も含まれています。彼らが発した言葉は彼らのものです

 少なくとも10数箇所にわたり手記に類似した描写が見つかりました。私が読んだら「あぁこれは〜〜さんの手記だ」「ここは〜〜さんのエピソードを使ったな」とすぐわかるものです。

 私がこの小説に批判的なのは、彼らの発した言葉に対する敬意を欠いているからです。単に小説のネタとして、彼らの言葉を使っただけではないでしょうか。》

最近流行の言葉を使えば、「キュレーション型剽窃*5ということになるのだろうけど、ここでは、「単に小説のネタとして、彼らの言葉を使っただけではないでしょうか」というところをおさえておく。

(前略)
しかし、小説は想像力で書かれたのではなく、彼らの言葉を奪うことで書かれたものでした。

最初から明かしているならともかくーーその場合でも表現はかなり依拠していますがーー手記を使ったことを初出では明らかにせず、行ったことがないという事実を誇っている。これが「敬意を欠いている」と思う理由です。

作家も、記者も、学者も言葉を扱う職業です。法的な問題以上に、「被災者、個々人の言葉」を利用する姿勢そのものが問われています。》


《北条さんが手記に影響を受けて書いたのだ、といえばまだわかります。しかし、そのことは指摘されるまで明かされず、隠したと受け取られてもしかたのない結果となった。

 ある被災者は、福島の原発事故後、お父さんが消防団の活動に参加して行方不明になりました。でも、お父さんの話をするとき、同級生には父母は離婚したと嘘をついてきた。表面的な嘘で繕わないといけない日常を生きているのです。

 私が問いたいのは、果たして北条さんの作品は、あの2011年3月11日からの言葉を失った人にとって、一人で沈黙し涙する人にとって、言葉を与える作品になっているかということです。

安易に「参考」にした描写が連続した作品から、そのような意図は読み解けませんでした。》


結局、と金菱さんは言う。

《いくら調査をしても、あの不条理な現実を語る言葉よりも語れない、語られないことの大きさばかりが見えてくるのが、私に取っての現実です。

 本人のものでしかない言葉、手記をそのまま使って小説を書くことで、現実を乗り越えたものが見えてくるというなら見せてほしいと思います。

 盗作か否かは私に取ってリングの外の話です。「被災者、個々人の声」の利用の仕方こそが本題です。》

これらの発言は社会学者によるものであるが故に重く受け止められなければならないといえるだろう。「ネタとして、彼らの言葉を使っただけではないでしょうか」というのはこれまで社会学者に対して発せられてきた言葉ではなかったか。「小説のネタ」ではなく論文の「ネタ」ということになるけれど。いいとか悪いとかいうことじゃなくて、社会学をはじめとする社会科学では、個々の事実がそれ自体として尊重されるということはなく、言ってしまえば〈理論〉を証明するためのネタということになる。洗滌され、散髪され、「理念の衣」(フッサール『危機』第9節、p.73)*6を着せられて。さらに、数量的研究の場合、質を剥奪され、量を構成するサンプルへと還元される。社会学は他の学科よりも科学主義や実証主義の洗脳が浅いので、このような〈原罪〉に敏感にならざるを得ないというところがあるわけだが。ところで皮肉なのは、これに対して、掛け替えのない個別性を救い出すと主張してきたのはこれまで「文学」の方ではなかったか。
ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学

*1:http://d.hatena.ne.jp/redkitty/

*2:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060906/1157552472 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100819/1282231602

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160122/1453481204 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160127/1453866712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160325/1458875216 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160409/1460163099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160415/1460648516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160526/1464228316 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160603/1464959516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161105/1478309427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161211/1481482837 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170103/1483467085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170516/1494962934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171108/1510149623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171111/1510404872 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171113/1510590081 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171222/1513915420 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517935255 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519612385 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180301/1519907714 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180303/1520088990 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180417/1523990276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180502/1525264751 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180523/1527094826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180608/1528425895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180704/1530682338 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180707/1530924896

*4:著者ではなく「編者」というポジションは重要である。

*5:See 木村忠正「「キュレーション型剽窃」の悪質さ〜若手研究者研究倫理の現状〜」https://tdmskmr.hatenablog.com/entry/2018/06/11/162008 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180701/1530409155

*6:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060103/1136254630 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080203/1202054628 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090521/1242870511 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110904/1315163207