水道橋と神保町の間、など

長崎励朗*1「音楽は語るべきではない?――『ロッキング・オン』と音楽語り」in 『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』、pp.161-189、2021


雑誌『ロッキング・オン*2は1972年に渋谷陽一岩谷宏松村雄策橘川幸夫によって創刊された。この4人のうち、渋谷と岩谷と橘川は水上はる子*3が主宰していた『レボリューション』というミニコミ誌の投稿者だった(p.165)*4。橘川が『レボリューション』を知ったのは「ウニタ」においてだった;


水道橋方面へ向かう白山通りに「ウニタ書舗」*5があった。ウニタとはイタリア語で「統一」という意味らしく、学生運動の機関紙や、ミニコミなどが置かれていた。ここは当時の政治や文化の最前線の資料が集まるところだったので、僕は定期的に通っていた。
店内は、サークルの部室のように乱雑にアジビラセクトの機関誌が積み上げられていた。政治的な媒体だけではなく、アングラ劇団のパンフレットや、中央線沿線のヒッピーたちが作っていたレベルの高いミニコミもあった。そうしたサブカルチャーのコーナーに「レボルーション」というロックのミニコミがあった。(橘川幸夫ロッキング・オンの時代』晶文社、p.17、2016)(Cited in 166)
長崎氏は橘川のこの回想に、以下のようにコメントしている;

学生運動の機関誌とミニコミ誌が雑然と並ぶ店内の描写は「教養主義のクライマックス」*6としての学生運動文化と70年代以降台頭してくるサブ・カルチャーの連続性を物語っている。現在では峻別されがちな二つの文化だが、「メディアはメッセージ」として機能する以上、これらの媒体を創った若者たちの文化は当時にあっても、同種あるいは類似のものとして眼差されていたと考えられるからだ。ここに並ぶ雑誌『レボリューション』を母体に組織された『ロッキング・オン』はまぎれなく、学生運動文化やその背景にある活字文化の落とし子であった。(ibid.)
さて、橘川幸夫は長崎氏のインタヴューに答えて、次のように語っている;

ロッキング・オン』ってのは俺はずっと、バンドだと思っているわけだよ。だから岩谷宏ジョン・レノンで、渋谷がポール・マッカートニーで、俺がジョージ・ハリスンで、松村がリンゴ・スターだと。で、それは解散したわけだと。要するにポール・マッカートニーバンドになったわけだよ。それが今の『ロッキング・オン』でしょ*7。だからそれは『ロッキング・オン』ではあるけど、『ロッキング・オン』ではないわけだよ。(Cited in p.187)
 
ポール・マッカートニーのイメージ!    

*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/12/25/105015

*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20051213 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060106/1136525882 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060529/1148902022 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20071206/1196911203 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091116/1258338600 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110426/1303827132 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110827/1314422112 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110831/1314764943 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130914/1379122545 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150730/1438275807 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150801/1438394795 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160921/1474471850 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170209/1486654022 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171102/1509641714 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/07/30/113922 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/09/04/124625 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/22/154744 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/03/13/153735

*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061008/1160276835

*4:松村雄策は、渋谷がDJをしていたロック喫茶「ソウルイート」(たしか、厚生年金会館の裏)で渋谷と出会っている(p.168)。

*5:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070820/1187581828 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100729/1280415113 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/01/07/100659

*6:竹内洋教養主義の没落』。

*7:このインタヴューは2015年4月に行われた。