古代の「職業病」を巡って。
また、
(前略)約1300年昔の奈良時代の記録である正倉院文書*1の中には、写経生という下級役人が記した改善要求書や欠勤届が多数含まれている。彼らは造東大寺司(東大寺をつくる役所)の支配下で、その名の通り写経を行う人々で、一文字間違えるごとに減給されるという、ストレスの多そうな労働環境にあった。そんな彼らの残した文書から病気に関するものを集めると、その4分の1近くが「足病」関係である。足病とともに「腰病」に罹っている例もあり、「起居あたわず(立ったり座ったりがつらい)」と訴えている点なぞ、まさに座職あるあるとしか言いようがない。
一方で写経生の多くが、赤痢や下痢に苦しんでいる事実も要注意だ。宝亀2(771)年5月27日には、氏部小勝という人物が、赤痢のため仕事ができないとして、6日間の休暇を申請している。それから10日も経たぬ6月6日には、別の男がやはり赤痢で欠勤。更に半月後の22日から27にかけては、三嶋子公を筆頭とする合計3人が下痢を訴えている。
奈良時代、普通の役人は朝に自宅から勤務先に向かい、正午には勤めを終えて帰宅できた。しかし写経性は場合によっては夜まで働かされた上、自宅ではなく宿所暮らし。これほど短期間に下痢が流行している事実から推察するに、誰か一人がウイルス性胃腸炎に罹り、それが寝食を共にする同僚の間に広がったのではないか。まさに職場での集団感染である。