大雪の基準

澤田瞳子*1「古代の雪」『毎日新聞』2022年1月30日


蒸し暑いので、「大雪」の話を書き記す。


過去の統計を見ると、京都では1954年に1日で32センチの積雪が記録されたのが飛びぬけて目立つ積雪で、後は10センチから20センチの積雪が数年に一度ある程度だ。では今から1000年前、平安時代はどうだったのか。「この世をば わが世とぞ思う望月の」の歌で有名な貴族・藤原道長*2の日記『御堂関白日記』には天気の話題が頻出するが、その中でもっとも多い積雪量の記録は長保2(1000)年正月10日。「雪大降。一尺二寸許」とあるから、40センチ弱の積雪だ。その他の降雪記録は数センチから10センチ程度が大半なので、平安期の京都の積雪量は現在のそれと顕著な違いはないらしい。
鎌倉時代成立の説話集『古今著聞集』には、道長の約100年後に生きた白河上皇が大雪の日に外出した逸話が記されている。その日は前日から雪が降っており、上皇は近習から「吹きだまっている箇所は一尺(約30センチ)あまり、庭は八寸かた九寸(約24センチから27センチ)の雪が積もっています」との報告を受け、「ゆゆしき大雪にこそ」と答えたという。あえて現代風かつ関西弁に訳せばm「めっちゃ大雪やん!」だろうか。平安後期に編纂された歴史書『日本記略』には、天慶元(938)年にやはり一尺の雪が積もったとの記録があるので、どうも平安時代の貴族には一尺越えが大雪の目安だったらしい。

前述の白河上皇にも仕えた公卿・藤原宗忠の日記『中右記』には、寛治7(1093)年の年末から年明けにかけて、都の東北にそびえる比叡山*3に大雪が降ったとの記述がある。積雪量は1・5メートル近く、僧の寝起きする建物が崩れ、死者が複数出たとあり、相当な惨事である。この時は現在の岐阜県、愛知県、福井県や石川県も広く大雪となったが、肝心の都での積雪は大晦日に「五寸(15センチ)」ほど。翌日の元旦には「宿雪残庭(前日からの雪が庭に残っている)」状況ながら、必要な儀式は行われている。