その昔は祭りというのは相当にやばいものだったらしいが

http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50314491.html


ここでは、『読売』と『毎日』の記事が引用されている。浅草の「三社祭」で、「神輿」の上に乗った連中が「都迷惑防止条例(粗暴行為の禁止)違反や公務執行妨害容疑」(『毎日』)で現行犯逮捕されたという。「浅草神社は祭りの開始前、神輿に1人でも乗ったら、境内から出る時の「宮出し」と呼ばれる行事を中止すると、担ぎ手側に通告しており、今後の対応を協議している」(『読売』)。これに関しては、


現場では「神輿に乗るな」と警官が注意していたけど、夕方のテレビのニュースを見たら、やっぱり乗ってるのがいた。見ればどれも倶利伽羅紋紋の怖そうな方ばかり。あの方々に下りろというのは、一般人ではなかなか難しいだろう。

見ているほうからすれば、神輿の上に人が乗っていたほうが絵になるような気もするけれど、たくさん乗りすぎて神輿が壊れてしまうという事故も起きている。今年も乗った人がいたおかげで、来年は宮出しが中止になってしまうかもしれないという報道もあった。
http://www.j-cast.com/tv/2007/05/29007985.html

横澤彪氏が述べているような事情もあるらしい。
ところで、Skelita_vergberさんが

もちろんというか、このような所謂『江戸文化』の象徴として挙げられていることが多い御輿だけど、実際には御輿は『江戸』というよりも『明治』の文化であることを聴いたことがある。おそらくその文意では、もともと神田なり浅草なりでは山車であったのが、御輿になったのは明治期に整備された電柱や電線などによって巨大な山車が、日常利用する道路(もちろん祭事には神聖な巡礼ルートになるが)を通行できなくなるという理由だからなんだけど。
そのことがホントであるとするならば(上記のことは一時資料に当たれていないので仮定法で書きます)、「御輿」というものはよくよく考えれば、「江戸文化」と後にカテゴライズされた、明治以降の文化である可能性がある。まさしくホブズボウムとレンジャーがいうような『創られた伝統』であるかもしれない。
と書いているのに興味をそそられた。さらに、「興味深いのは、『御輿』や『宮出し』云々が、江戸時代(どのくらい昔からなのかはさておいて、本当ならちゃんと調べないと)にあったのかのルーツや本質論ではなく、『御輿』に乗ってしまう人がいることが、ある意味『祭り』の要素であり、「それがないと盛り上がらない」という発言や、氏子や担ぎ手たちとの意識や認識と、『祭り』を1つの「デモ」行為として認識する警察や町会の幹部組織や、神社側の対立関係だと思う」とも書かれている。
ご自身も神主である薗田稔先生も指摘していたように、そもそも戦前くらいまでは、祭りというのは暴力的でやばいものだった。神様の御威光をかさに、神輿を担ぎながら、日頃気に食わない家とか世俗的権威たる警察署とかを襲撃するというのは当たり前だった。時代はずっと遡るが、神輿を担げばその御威光によって何でも許されるということを前提にしなければ、日吉の神輿を担いだ比叡山の悪僧の狼藉を天皇でさえ(平清盛以外は)ただ呆然とするしかなかったというのは理解できないだろう。それが戦後教育の啓蒙の成果で、大人しくなったということだ。それよりも、共同体と若者の関係に変化があったということなのかも知れない。かつては若者というのはそれ自体であぶない存在だった。だから、最近成人式が荒れる云々というのは、昔を知る人にとっては、当たり前のことを何故わざと大袈裟にいうのかということになるが、その前提として、若者が全然あぶない存在ではなくなったということがある。話は脱線するが、フッサールの『危機』を訳した細谷恒夫という先生は、〈大学闘争〉について訊かれたときに若者宿ですねと(哲学者でありながら)人類学的に正しい答えをしたそうな。若者は乱暴で大人の道理を弁えない存在でありながら、地域共同体はその存立を、労働力その他の力としての若者に依存していた。だから、若者の祭りにおける乱暴狼藉は大目に見られていたわけだ。さらに、時間が経過すれば、若者は旦那衆になり、年寄りになるのだ*1。勿論、それとともに、神様の御威光の低下という世俗化の問題も勘案しなければならない。現代の警察は神輿だって公務執行妨害等々で逮捕することができるわけだし、一般人だって畏れ多くも神輿(神様)に対して訴訟を起こすこともある。
さらに、現代の祭りを考える上で看過することができないのは、(特にメジャーな一部のものについては)TVで中継されるメディア・イヴェントであるということだろう。祭りはそもそも静と動の側面からなっていた。静すなわちお籠もりなどは、TV映像化され得ないので、祭りというと御神輿わっしょいという一面化されたイメージが一般化する。それと同時に、メディア・イヴェントはファミリー・エンターテイメントなので、かつてのような乱暴狼藉の側面は去勢しなければならない。だから、今回の事件というのはそのようなメディア・イヴェントのディレンマが表面化したともいえるのだ。
それから、祭りと「デモ」というのは対立するものではない。私の記憶では、一部左翼の方言ではデモに行くことを御神輿を担ぐといっていた。また、以前三里塚の空港反対同盟の農民たちの回想座談会を読んでいたら*2、最初にデモをしたときに少し戸惑ったけれど、直ぐにこれは祭りと同じじゃないかと納得したという発言があったことを思い出した。
話は戻ることになるのか、五十嵐さんのコメント;

浅草には、いまだに町会のがんじがらめのリアリティの中で生きて死んでいく人が掃いて捨てるほどいます。暗黙のうちに「○○町会以外お断り」みたいな公的組織や政治家の後援会みたいのもあって、「俺がどんなに頑張ったって○○じゃねえからいつまでたっても外様だよ」とさめざめと泣くおっちゃんとか普通にいます。
でもね、そういう人の人口はどんどん減っているのも確か、特に相対的には。浅草にも入谷にも鳥越にも、新しいマンションがバンバン建って、そんな人たちにとっては三社祭も鳥越の夜祭も、「年に一度の有名なお祭りを自分ちから眺められて、ここに住むってお得かも〜 下町情緒だねぇ」です。
これに関連して、佃島と月島は隣接していながら、その開放/閉鎖性において全く対称的であることを指摘した四方田犬彦『月島物語』をマークしておく。
月島物語 (集英社文庫)

月島物語 (集英社文庫)

*1:これは、若者の〈悪さ〉一般に対する態度とも関連していると思う。Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070509/1178732245

*2:たしか、『朝日ジャーナル』に掲載されていたか。