覚えが悪い、など

渡辺保*1「天賦の才が示す笑いの本質」『毎日新聞』2020年10月10日


小林のり一『何はなくとも三木のり平』の書評。小林のり一は三木のり平*2の長男。


戦後の東京の喜劇は多士済々であり、それぞれの役者が個性を持っていた。エノケンはあのだみ声でいて歌がうまい。ロッパは声帯模写がうまかった。森繁久彌は、どこか理に詰んでいるところに自然に浮かぶおかしさが面白かった。そういう人たちの中でのり平のとぼけた味はまた独自の面白さだった。この本を読むとかつてのそういう東京喜劇全盛の舞台がよみがえってくる。それは戦後文化史の一頁である。

のり平はなかなかせりふを覚えなかった。そのためにやたれあにカンニング・ペーパーを作る。相手役の顔にまで書いたというからすごい、湯飲みの中に書いたらば、そうとは知らぬ役者が、本当にお茶を入れてしまったとか、座布団に書いておいたら、相手役がそこに座ってしまったとか。むろん生来せりふ覚えが悪いということもある。しかしそれだけではないと私は思う。せりふを頭で覚えようとしたのではなく、体で覚えようとしていたから。それに常に自分に危険を課していたのだ。いつも新鮮、それが笑いには必要であった。
三木のり平のせりふ覚えの悪さは、黒柳徹子の伝記ドラマ『トットてれび』にも出てきた。
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  • 発売日: 2016/11/23
  • メディア: DVD