昨年10月に

数日前に興膳宏*1『中国名文選』を読み始めたのだが、著者が昨年の10月に他界されていたことに気づいた。
東京新聞』曰く、


興膳宏さん死去 京都大名誉教授、中国文学理論
2023年10月26日 07時40分


 興膳宏さん(こうぜん・ひろし=京都大名誉教授、中国文学理論)16日死去、86歳。福岡市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。
 中国の六朝期の文学などを研究。13年に日本学士院賞。日仏東洋学会会長、京都国立博物館館長を歴任した。文化功労者
https://www.tokyo-np.co.jp/article/286027

See also


安藤信廣、渡邉義浩*2「興膳宏先生ご逝去のお知らせ」https://liuchao.gakkaisv.org/oshirase2.html

Taro dies

The Associated Press "The first foreign-born grand champion of sumo, Akebono Taro, dies at age 54" https://www.npr.org/2024/04/11/1244093282/akebono-taro-sumo-grand-champion-yokozuna-hawaii
Hannah Ritchie “Taro Akebono: Hawaiian-born Japanese sumo legend dies” https://www.bbc.com/news/world-asia-68787193
「大相撲 元横綱 曙太郎さん死去 54歳 外国出身力士史上初の横綱https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240411/k10014418641000.html


横綱曙太郎*1の死。享年54歳。統計的に取的は薄命だとはいえ、ちょっと若すぎるのでは?
小錦のトリビュート;

Richard Serra

美術手帖』の速報;


NEWS / HEADLINE
2024.3.27


リチャード・セラが85歳で逝去。ポスト・ミニマリズムの巨匠


アメリカ出身でポスト・ミニマリズムを代表するアーティスト、リチャード・セラ*1が85歳で逝去した。

 アメリカ出身でポスト・ミニマリズムを代表するアーティスト、リチャード・セラが85歳で逝去した。

 セラは1938年、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれた。イェール大学では絵画を専攻し、学生時代は製鋼所や工事現場でアルバイトをしていたという。セラのキャリアでとくに知られるのは60年代後半からだ。それまでのミニマリズムにおける閉鎖性から打って変わり、工業的な板金を用いた巨大で荒々しい彫刻を発表。ポスト・ミニマリズムを牽引していくこととなる。セラによる初期のパブリック・アートは、景観を阻害するという理由から撤去されたこともあったものの、作品は注目を集め、以降も巨大な彫刻をつくり続けてた。ほかにも自身の個展ではドローイングや版画、映像作品なども発表してきた。

 日本においては、70年の東京ビエンナーレに作品を出展している。94年には大阪の国立国際美術館で回顧展を開催。そして同年には高松宮殿下記念世界文化賞の彫刻部門も受賞した。

編集部
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28697

See also


The Associated Press “Famed American sculptor Richard Serra, the 'poet of iron,' has died at 85” https://www.npr.org/2024/03/26/1241104634/richard-serra-dead
Tim Jonze "Richard Serra, uncompromising American abstract sculptor, dies aged 85" https://www.theguardian.com/artanddesign/2024/mar/27/richard-serra-dies-85-american-abstract-sculpture-artist-cause-of-death-pneumonia
Christopher Masters*2 “Richard Serra obituary” https://www.theguardian.com/artanddesign/2024/mar/27/richard-serra-obituary


グッゲンハイム美術館のツィート;


高見温さん;
Yuji Yoshimura氏;
shnchr OSAKI氏;

『彼は早稲田で死んだ』など

本を買った。

樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』文春文庫、2024


上野千鶴子鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』幻冬舎文庫、2024

季節を超えた?

おはぎは季節を超えたということでいいのだろうか。同じ糯米を餡子で包んだ菓子でも、秋にはおはぎ、春にはぼた餅(牡丹餅)という筈だったのだけど*1、最近では春でもおはぎとして売られている。というか、スーパーとかではぼた餅という商品が消えているようなのだ。これはおはぎの全面的勝利というべきか、それともぼた餅の敗北というべきか。やはり「ぼた」という音の響きが嫌われているのだろうか。ただ、ぼた餅からは


棚からぼたもち(たなぼた


というラッキーな諺も派生している。もしラッキーでないと感じているなら、おはぎぼた餅と言い換えてみれば、少しは運が開けるかも知れない。



これらも「おはぎ」ごして売られていた筈。

張照堂

李振豪「【訃聞】現代攝影之父張照堂逝世」https://tw.news.yahoo.com/%E8%A8%83%E8%81%9E-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%94%9D%E5%BD%B1%E4%B9%8B%E7%88%B6%E5%BC%B5%E7%85%A7%E5%A0%82%E9%80%9D%E4%B8%96-041400362.html
中央社「攝影家張照堂逝世 享壽81歲」https://udn.com/news/story/7314/7874695
HSB「【哀悼】金馬獎終身成就獎得主 台灣攝影大師張照堂離世 |2024」https://theculturist.hk/2024/04/%E8%97%9D%E8%A1%93/%E6%94%9D%E5%BD%B1/%E3%80%90%E5%93%80%E6%82%BC%E3%80%91%E9%87%91%E9%A6%AC%E7%8D%8E%E7%B5%82%E8%BA%AB%E6%88%90%E5%B0%B1%E7%8D%8E%E5%BE%97%E4%B8%BB-%E5%8F%B0%E7%81%A3%E6%94%9D%E5%BD%B1%E5%A4%A7%E5%B8%AB%E5%BC%B5%E7%85%A7/


4月3日、台湾の写真家/ドキュメンタリー映画作家の張照堂氏*1が永眠。享年81歳。
そのプロフィールをshashashaのサイトから引用してみる;


張照堂は(1943年台湾生まれ)台湾の写真家。1999年に台湾の「国家文芸賞」、2011年に「行政院文化賞」を受賞し、さらに昨年、台北市立美術館で開催された張照堂氏の「歳月 照堂:1959-2013影像展」は、雑誌『藝術家』の2013年展覧会10選のトップに選ばれました。

張照堂(Chang Chao-Tang)は台湾を代表する最も重要な写真家である。中学時代、兄からAires Automat 120機を借り、写真に興味を覚える。1960年代、台湾の保守的な社会環境の下で、当時学生だった張氏は、現代文学と超現実主義絵画に着想を得た滑稽かつ荒涼とした悲劇的な写真を発表した。「ピンボケ」、「顔に白粉」、「首のないフィギュア」、「身体の揺さぶり」といった自身の心の内にある苦しみや抑圧感を吐き出した写真は、従来のサロン写真とは異なる独自のスタイルによって、写真界と台湾社会に衝撃を与えた。以来張氏は国内での写真展だけでなくアメリカ、アジア各国など国際的な活躍をしている。2013年には台北市立美術館で大規模な初の回顧展が開催された。
https://www.shashasha.co/jp/artist/chang-chao-tang

岩切澪さん曰く、
池田リリィ茜藍さん曰く、
Dylan Cheung氏曰く、
ところで、「『恋恋風塵』*2で直接的に参照されている」。ほんとう?

舌と唇

千葉雅也*1『デッドライン』から。


今朝、ドトールでジャーマンドッグを食べている最中に舌の脇を噛んだ。食べている最中に頭の中でしゃべると、舌を噛んでしまう。食べる運動としゃべる運動が衝突するから。(p.11)
この〈舌噛み〉はちょっと後*2にも回想されている。

池袋に住んでいる男がいた。Kと同じく池袋。そのときは電車で行って駅からしばらく歩いた。要町の方だった。
その少し前の夕食のとき、ご飯を噛んでいて下唇を噛んだ。グキッと残酷な音がした。食べている途中に頭の中に言葉が溢れていた。悪い予感がしていた。前にもこういうときに舌を嚙んだな――と思い出している最中に、唇を噛んでしまった。
酷く落ち込む。フェラチオができないからだ。
通常フェラチオHIVをもらうことはまずない。が、口に傷がある場合は別だろう。舌や唇を噛むということは、傷が塞がるまで男遊びができないということを意味する。池袋の男に連絡しようと思っていた。が、唇が治るまで待たなければならない。どのくらい時間を置けば大丈夫なのか。二日あれば塞がるだろうか。それで、三日か四日目の夕方にメールして、会いに行った。(pp.51-52)
食物と言語というか、「食べる」ことと「しゃべる」ことは対立している。それは、運動の方向が反対だからだろうか。「しゃべる」ことは内側にあるものを(音というかたちで)外部に押し出すこと。「食べる」ことは外部のものを内部に引き入れることだ。