安倍効果?

もしかして、壊憲派*1にとって、安倍晋三は阻害要因になっているのではないか。斎藤美奈子*2憲法の条文読んでますか?」(『ちくま』585、pp.10-13)を読んでいたら、NHK世論調査結果が言及されていた。安倍晋三が首相に返り咲いた後に「憲法を改正する必要がある」と答えた人は、28%(2014年)、28%(2015年)、27%(2016年)、43%(2017年)、29%(2018年)、29%(2019年)と推移している。2017年はイレギュラーに高いけれど、それにしても、改憲必要が50%を超えた年はない。しかし、21世紀に入ったばかりの小泉純一郎政権下で、日本人は改憲にもっと前向きだった。2002年には58%の人が「憲法を改正する必要がある」と答えており、ピークの2005年にはそれは62%に達していた(p.10)。第二次安倍政権になって以来、改憲派は半減していることになる。さて、何故改憲派は半減したのか。斎藤さんがいうように、「改憲に関する首相の発言はぶれまくっている」からだけなのだろうか?

原因を探して

承前*1

「PISA調査 日本の読解力低迷 、読書習慣の減少も影響か」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191203-00000565-san-soci


何故PISA特に「読解力」の得点や順位が下がっているのかを探る記事。
先ずは産経新聞


文科省によれば、小6と中3を対象に毎年実施している全国学力テストなどでは、特に学力低下の傾向はみられないといい、同省担当者は「今回のPISAで読解力がなぜ低下しているのか要因を特定するのは難しい」と話す。

 考えられる一つは、15年から導入されたパソコンを使ったテスト形式に不慣れなこと。日本の生徒は紙の筆記テストに慣れ、ポイントとなる部分に線を引くなどして思考を深める傾向があるため、パソコンではそれができず、戸惑うケースが多かったとみられる。

 また、インターネットのサイトから必要な情報を探し出したり、情報の信憑性を見極めて対処法などを自由に記述させたりする問題の正答率が低かった。日本では選択式問題のテストが多く、記述式が苦手な生徒が多いと指摘されてきたが、PISAでもそれが浮き彫りになった格好だ。

 また、読書習慣のある生徒の方が平均点が高いことも分かった。小説などを月数回以上読む生徒の平均点は531点で、読まない生徒より45点高かった。新聞を同頻度で読む生徒の平均点も、そうでない生徒より33点高かった。

引用した部分の最後のセンテンスを見ると、産経新聞ステマじゃないかと思ってしまう人もいるかも知れないけど、効果という点では「新聞」よりも「読書」の方が強い。


おおたとしまさ「日本の子どもの「読解力」8位から15位に急落――“PISAショック”をどう読み解く?」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191206-00016944-bunshun-soci


こちらの方はPISAそのものの価値を疑うというより根本的なスタンスを取っている。
2003年のPISAで日本の順位が急落したことを承けて、「ゆとり教育*2への「疑念が噴出した」。しかし、


なんとも皮肉なのは、今回PISAを受験した子どもたちが実は小1から中3まで「脱ゆとり」教育を受けた1期生だということである。「PISAショック」から生まれたカリキュラムを受けた子どもたちが新たな「PISAショック」の当事者になってしまったわけだ。

もちろんPISAとは国の教育力を競う大会ではなく、順位の変動自体には本質的な意味はない。数値に有意な変動があるならば、その背景を探り、新たな打ち手を見つけることにこそ意味がある。またそもそも経済協力開発機構OECD)は経済の観点から教育を評価しており、その学力観が絶対的ともいえない。
PISAがいう「読解力」が日本の国語教育における「読解力」とはニュアンスの違うものである」。その定義は、

 <読解力の定義>

 自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、社会に参加するために、テキストを理解し、利用し、評価し、熟考し、これに取り組むこと。

 <測定する能力>

(1)情報を探し出す
 -テキスト中の情報にアクセスし、取り出す
 -関連するテキストを探索し、選び出す
(2)理解する
 -字句の意味を理解する
 -統合し、推論を創出する
(3)評価し、熟考する
 -質と信ぴょう性を評価する
 -内容と形式について熟考する
 -矛盾を見つけて対処する

ということになる。そして、「「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」の2項目は、今回の調査で新たに追加された要素で、まさにこの点において日本の子どもたちの正答率が低かった」。
PISAは「文章を情報として論理的に評価・分析する力」を重視しているのだが、おおた氏は「「文学など読まないで、もっと実用的な内容の書籍や新聞を読ませるべきだ」とはならない」といい、来年度から高校に導入される「論理国語」*3の妥当性も問題にしている。

1つめの理由。PISAの指標は文化に依存しない最大公約数的な「リーディング・リテラシー」を経済的な有用性の観点から評価するためのものであり、その評価基準に過剰適応すれば、それぞれの国や地域の文化に根ざした「国語教育」の目的が損なわれる可能性が高い。

 2つめの理由。小説などフィクションを読む子どもの「読解力」の平均点は531点で、読まない子どもより45点高かった。同様に新聞を読むグループとそうでないグループの得点差は33点だった。つまり、「新聞を読むか読まないか」よりも「小説を読むか読まないか」という要因のほうが、平均得点の差が大きい。文学鑑賞と論理的な読解力は、単純に切り離せるものではなさそうなのだ。

また、そもそも

 PISAが設ける指標に基づいて日本の子どもたちの弱点を見出し、打ち手を講じることはもちろん大切だ。しかし一方で、仮にPISAの考える「読解力(リーディング・リテラシー)」で世界最高の成績をおさめたからといって、日本人としての国語力が優れていることにはならない。そこを混同してはいけない。
また、


奥山直美「PISA2018、読解力15位に低下…情報を探し出す力など課題」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191204-00000006-resemom-life


曰く、


生徒質問調査の結果によると、日本の生徒は「読書は大好きな趣味のひとつだ」と答える生徒の割合が45.2%と、OECD平均の33.7%より高いなど、読書を肯定的にとらえる傾向があり、そのような生徒ほど読解力が高い傾向にあった。OECD平均と比較すると、日本はコミック(マンガ)やフィクションを読む生徒の割合が多かった。

 日本を含むOECD全体の傾向として、読書を肯定的にとらえる生徒や本を読む頻度が高い生徒のほうが、読解力の得点は高かった。中でもフィクション、ノンフィクション、新聞をよく読む生徒の読解力が高い傾向にあった。日本に限ると、新聞、フィクション、ノンフィクション、コミックのいずれも、よく読む生徒の読解力の得点が高かった。

また、

このほか、読解力の平均得点は、調査参加国すべてにおいて女子が男子より得点が高く、その差は統計的に有意であった。日本は、男子493点に対し、女子が21点高い514点で、男女差は小さいほうから9番目であった。

「日常のハードコア」

松田青子*1庄野潤三『インド綿の服』 人生は明るい 世界への抵抗」『毎日新聞』2019年12月7日


庄野潤三*2『インド綿の服』を巡って。


ドリームズ・カム・トゥルーの「うれしい!たのしい!大好き!」という曲があり、この三つの気持ちdけで生きていけたらいいのにと私は遠い目になってしまったりもするのだが、庄野作品には、こういった明るい気持ちが何よりも強く息づいていて、そう、人生とはそもそもこうあるべきだった、と根源的な思いに立ち返らされるのだ。

今回特に、『インド綿の服』を読み直してみて、この作品集がいかに変わった、他にない作品であるか、思い知らされた。この作品群は、夫と子どもたちと足柄山に引っ越していった長女から届く手紙がそのまま登場し、そこから家族のある時期のエピソードが連想的に綴られていく。
面白いのは、それらの手紙が作者の書きたいことのフックとして使われているのではなく、その手紙の魅力をわれわれに最大限に伝えるために、作者が書いているところである。昨年出版された『庄野潤三の本 山の上の家』に収録されている長女の夏子さんの「私のお父さん」というエッセーには、「両親から離れたのは、今住んでいる足柄山の林の中の家に引っ越した時からです。親からの宅急便を受け取ったのも初めてでした。安心させる為に、私は宅急便のお礼や近況を手紙に書くようになりました。三人の男の子を引き連れて自然の中で暮らし始め、又一人男の子が生まれたので、報告する事は、いっぱいです。『ハイケイ、足柄山からこんにちは』で始める手紙には、家族の様子や庭に来ることりやヘビ、タヌキの事、夕食の献立まで何でも書きましたが、心配性の父なので、困った事はおもしろおかしく書きました。父は、そんな手紙を喜び、小説の中にそのまま入れました」とある。

長女からの手紙には、作者夫婦から届いた宅急便の中身や会った際にもらった物、一緒に食べた物が細かく記されているのが、とても印象的だ。そして作者は、そのすべてを自らの小説に登場させる。家族の日常を、長女から送られた荷物の包装紙の柄や絵ハガキの柄にいたるまで書き残さなくてはいけない、これは書き残すに値するものだと確信しているのだ。妻が長女に送ったシャツの色をどんな色かとわざわざ尋ね、妻の「ちょっと燻んだオレンジ色です」という答えも、同じ時に妻が注文したシャツが芥子色であったことも書き添える。あまりに徹底した作者の態度は、日常のハードコア、とでも呼びたくなる。きっと作者の作品は、本来、人にはこのような穏やかで平和な生活が与えられるべきだ、これが生活なのだ、という、この世界への強い抵抗なのだ。
庄野潤三は長い間、国語の教科書に載ってそうな作家ということで、関心の外にあたのだけど、松山巌須賀敦子の方へ』*3を読んで、須賀敦子さんとの所縁を知り、関心を新たにしたということがある。
須賀敦子の方へ (新潮文庫)

須賀敦子の方へ (新潮文庫)

  • 作者:松山 巖
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/02/28
  • メディア: 文庫

或るギャップ

イエス・キリストは実在したのか? (文春文庫)

イエス・キリストは実在したのか? (文春文庫)

レザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』の原題は、Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazarethであって、直訳すれば、『熱狂者:ナザレのイエスの生涯とその時代』という感じになる。Zealotについて、訳者の白須英子さんは「訳者あとがき」にて、


(前略)大文字で始まるZealot(s)は、イエスの死後、三〇年以上あとに起こった紀元六六年の「第一次ユダヤ戦争」で、ローマ人によるパレスチナ占領と、彼らと手を結ぶユダヤ人支配階級に対して蜂起した「熱心党員」と呼ばれるユダヤ人反徒たちを指すが、本書の表題が意味するところとは少し違う。
元々の小文字で始まるzealotは「熱心にあることのために力を尽くす人」という意味で、その語根に当たるzeal(熱情)という言葉は、ヘブライ語では「キナー(qin'ah)」と言い、宗教的あるいは倫理的な情念を表す言葉として、旧約聖書の「出エジプト記」「民数記」「申命記」などにも数十回出てくるほど長い歴史がある。(p.427)
と書いている。
旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1969/01/16
  • メディア: 文庫
何が言いたいのかというと、『イエス・キリストは実在したのか?』って一見トンデモ本みたいなタイトルだけど、全然そんなことはないということだ。そもそも、この本では耶蘇(「ナザレのイエス」)の歴史的実在性は全く疑われていない。典拠の出し方や先行研究との擦り合わせを含む論述の仕方には説得力がある(と思った)。だから、『イエス・キリストは実在したのか?』というタイトルに惑わせられないのでね!
そういえば、「イエス・キリスト」のバイオグラフィを巡っては、私の知識は、これまで、荒井献『イエスとその時代』からあまりアップデイトされていなかったような気がする
イエスとその時代 (岩波新書)

イエスとその時代 (岩波新書)

呼びかけに応えて?

AbemaTIMES「「我々は生きるために地面を掘る」中村哲医師が遺した“平和の基礎” 石戸諭氏「代表的日本人の姿」」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010039-abema-int


中村哲*1について。


異国の地で、なぜこれほどまで信頼され必要とされたのか。それは、中村さんが語った言葉に表れていた。ある講演で、何十年も活動を続けられる原動力について聞かれた中村さんは次のように答えている。

 「早く作業から引き揚げたいと思ったことは何度もあるが、ここで自分がやめると何十万人が困るという現実は非常に重たい。また、多くの人が私の仕事に対して希望を持って何十億円という寄付をしてくれている。その期待を裏切れない。なによりも現地の人たちに『みなが頑張れば、きちんと故郷で1日3回ご飯が食べられる』という約束を反故にすることになる。日本では首相までが無責任なことをいう時代だが、十数万人の命を預かるという重圧は、とても個人の思いで済まされるものではない。みなが喜ぶと嬉しいもので、それに向けて努力することが原動力だと思う」


 「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」

 こうした中村さんの人柄について、2008年に講演を取材したというノンフィクションライターの石戸諭氏*2は「中村さんはクリスチャンで、基本的な姿勢は“天命”という考え方に近いと思う。自分が生きる理由を考えた時に、アフガニスタンで医療支援をする人にたまたま出会ってしまった。その人たちのために何ができるかを考えた時に、命を守るために医者として活動するとともに、水を掘ることが非常に重要だと。アフガニスタンは“パンと水”の問題が重要だと言っていたことを思い出す」と話す。

 中村さんは2005年の手記に、“平和の基礎”を書き記している。

 「『人々の人権を守るために』と空爆で人々を殺す。果ては、『世界平和』のために戦争をするという。いったい何を、何から守るのか。彼らは殺すために空を飛び、我々は生きるために地面を掘る。彼らはいかめしい重装備、我々は埃だらけのシャツ一枚だ。彼らは死を恐れ、我々は与えられた生に感謝する。同じヒトでありながら、この断絶は何であろう。彼らに分からぬ幸せと喜びが、地上にはある。乾いた大地で水を得て、狂喜する者の気持ちを我々は知っている。水辺で遊ぶ子供たちの笑顔に、はちきれるような生命の躍動を読み取れるのは、我々の特権だ。そして、これらが平和の基礎である」


 石戸氏は、キリスト教思想家・内村鑑三の著書のタイトルを引用して中村さんを“代表的日本人”と形容。「僕らが平和主義と聞いてもすごく抽象的で、意味のないものだと思ってしまう。平和を作るとはどういうことかを考えた時に、中村さんの活動や生き方にそれが体現されている。用水路を作って水が通るようになって、乾いた大地が緑に変わる。現地に入って人々と信頼関係を築いて、ニーズに答えて実行していった結果、セキュリティ面も安全になっていく。中村さんは人道支援や平和主義という抽象的なことを具体化して、さらに問いかけるところまでやっていた。日本で生まれ育った人が海外でどうやって尊敬を集めるのか、代表的日本人の姿」と述べる。

「天命」。「天職」と訳されるcalling、神からの呼びかけ。今ではたんなる専門職という意味になっているprofessionalも、そもそもは神からの呼びかけを受諾するという意味だった*3

*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/05/092749 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/06/013645 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/12/06/092112

*2:https://twitter.com/satoruishido See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160122/1453481204 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160127/1453866712 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160325/1458875216 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160409/1460163099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160415/1460648516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160526/1464228316 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160603/1464959516 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161105/1478309427 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161211/1481482837 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170103/1483467085 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170516/1494962934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171108/1510149623 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171111/1510404872 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171113/1510590081 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171222/1513915420 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180206/1517935255 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519612385 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180301/1519907714 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180303/1520088990 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180417/1523990276 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180502/1525264751 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180523/1527094826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180608/1528425895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180704/1530682338 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180707/1530924896 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180709/1531104306 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180820/1534758490 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20181019/1539915094 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20181026/1540513694 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/20/115618 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/01/002019 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/08/104109 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/21/131432

*3:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060919/1158671904 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100816/1281992231

牛だった!

不二家の「ペコちゃん」*1について。


赤べこ*2ならぬ赤ペコもいたのだろうかと思ってしまった。

80万台へ

共同通信の記事;


19年出生数、90万人割れ確実 過去最少、推計より2年早く
12/6(金) 19:42配信共同通信


 2019年に生まれた赤ちゃんの数が1899年の統計開始から初めて90万人割れし、過去最少となるのが確実になったことが6日、厚生労働省への取材で分かった。同省の研究機関*1はこれまで90万人割れを21年と見込んでおり、推計より2年早い。想定を超えて加速する少子化に、政府関係者は「大変厳しい状況だ」とし、社会保障制度などへの影響を懸念した。

 厚労省は今月下旬に出生数や出生率をまとめた「人口動態統計」の年間推計を公表する予定だ。関係者は、今年の出生数が86万人程度にとどまる可能性を示唆している。

 同統計によると、18年の出生数(確定)は91万8400人だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191206-00000191-kyodonews-soci

鷲尾香一「2019年の出生数、とうとう90万人割れ 減少を「悲観」して終わりの無策の果て......」https://article.yahoo.co.jp/detail/ccdbb735075fcc7dd0f8568e28bbfaf234f1a4bc


「国立社会保障・人口問題研究所が2017年にまとめた推計が「甘かった」ということ」だという。


(前略)日本の出生数は、1974年には200万人を超えていたが、翌1975年には200万人を割り込んだ。その後、1980年まではほぼ毎年10万人のペースで出生数が減少した。1984年に150万人を割り込んだあとも、減少が続き、2016年に出生数はついに100万人を下回った。

1993年から2016年までの間、出生数の減少が緩やかになっているのは、1970年前後に生まれた、いわゆる団塊の世代ジュニアが結婚・出産期だったことによる。しかし、団塊の世代ジュニアが40歳代に入ると、出生数は再び減少のペースを速めている*2


さて、近年の出生数の減少ペースは、2016年が前年比で約2万9000人(2.9%減)、2017年が約3万人(3.2%減)*3、2018年が約2万8000人(2.9%減)となっている。

つまり、近年の傾向では、出生数は平均3%の減少が予測できる。2018年の出生者数91万8397人から3%減少すると推計すれば、2万7551人の減少となり、推計される2019年の出生者数は89万0846人となる。出生数の90万人割れは予測できるということだ。