爪切りから

昨日のことなのだが、或るカフェで近くに(といっても私から4~5米離れていたけれど)座っていた初老、というか、推定年齢は低くて50歳、高くて70歳くらいのおっさんが自分の爪を切り出して、その爪を切る音にいらついてしまった。あの爪を切る音って、そんなにも人をいらつかせるものなのか! これについては、自分でも少し吃驚したのだった。私も爪を切ることは好きで、常時深爪状態である。しかし、私にとって、爪を切ることは秘かな愉しみであって、カフェでかちかち音を立てながら行うというのは考えられない。そういうことは、公衆の面前でパンツを下ろしてオナニーをすることに近い。音にいらついたというのは勿論なのだけど、何故こういうことを公衆の面前でやるんだ? という不快感もあった。
ところで、爪を切るのが好きだということは、私の人格の、或る種の歪みを伴った形成
に関係しているのではないかと思っている。爪の先に埃などが溜まって黒くなっているのを見るのが不快だとも思うのだけど、どうもそれは合理化(言い訳)にすぎない。小学生の頃の記憶を辿ると、その頃は爪切りを知らず、歯で爪を噛み切っていた。私にとって、爪を切ることは(幼児ではよく見られる筈の)指をしゃぶることの延長だったようなのだった。また、子どもの頃、よくモノを噛んでいた。鉛筆や消しゴム、それから乾電池。これは歯でなく爪切りで爪を切るようになってからも続いていたと思う。噛むことへの嗜癖は大人になってからも已まなかったと思う。18歳から煙草を吸い始めたのだけど、煙草を吸うときにフィルターを強く噛む癖があって、フィルターが真っ二つに割れてしまうということも屡々だった。
10年以上前に喫煙も止めて、噛むことへの嗜癖は消えているのだが、爪切りへの少し強迫的な拘りだけは続いている。

金井と大江

承前*1

本を買った。

金井美恵子『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』中公文庫、2024

大江健三郎『晩年様式集』*2講談社文庫、2016

編んでから包む

Via https://nessko.hatenadiary.jp/entry/2024/03/18/084114

津田雅之氏*1のツィート;


「編みぐるみ」という言葉は知らなかった。編んでから包むということなら、まさにその通りなのだけど。

可能性としての不具合

伊藤亜紗*1「障害と科学技術 呪縛からの解放」『毎日新聞』2023年1月14日


キム・チョヨプ、キム・ウォニョン『サイボーグになる』という本の書評。


キム・チョヨプは一九九三年生まれのSF作家。聴覚障害の当事者で女性、大学では自然科学を専攻した。キム・ウォニョンは一九八二年生まれの弁護士。骨形成不全症*2という難病の男性であり、作家、パフォーマーとしても活動している。(後略)

著者たちが注目するのは、サイボーグのリアルな姿だ。技術を含む物理的環境の影響を受けやすい障害者は、機械と身体の接合部が決して滑らかではないことを知っている。「皮膚のただれや炎症」は日常茶飯事だし、「バッテリー残量五パーセント」の恐怖は消えず
機械は高価で専門的なメンテナンスを必要とする。科学技術は輝かしい未来を描くことで希望を与えるが、それはあまりに楽観的で時として過大広告的だ。必要なのは、遠い未来の最先端技術や医療の画期的な発展ではなく、「継ぎ目」をケアしてくれるもっと現実的なアイディアなのだ。

本書の核となっている概念のひとつは「クリップ・テクノサイエンス」である。「クリップ(crip)」は直訳するならば「不具」という意味。性的少数者を指す「クィア」と同様に、当事者があえて差別用語を使うことによって、その意味を反転させようとする言葉だ。日本ではあまり馴染みがないが、米国では二〇〇〇年以降広がりを見せている。
つまり「クリップ・テクノサイエンス」とは、「不具の技術科学」のこと。従来の技術開発が主に障害者の「ために」、非障害者によってなされてきたのに対し、「 クリップ・テクノサイエンス」は、障害者自らが知識の生産者になろうとする。前者は、善意に基づくとしても、障害は克服すべき欠陥とみなしがちだったのに対し、後者は障害を可能性の源とみなす。技術の向かうべき方向に当事者が介入することは、建物の入り口に車椅子用のスロープをつけることと同じ、いやそれ以上に根本的な、環境への重要な介入なのだ。

(前略)私たちは科学技術を「最適解」「合理化」「普遍」の呪縛から解放する時期に来ているのではないだろうか。人々の生を支えるものである以上、科学技術は多様な視点に対して開かれたものであるべきだ。著者たちの特徴は、当事者でありながら障害を語ることに距離があることだ。障害学以外の学問的背景をもつ彼らだからこそ、具体的かつ実践的、創造的な議論ができているように思う。すがすがしい。

中庸ではない「中庸」

末木文美士『日本の近代思想を読みなおす2 日本』*1から。
国学を「自尊主義」的方向へ「大きく一歩を進めた」のは本居宣長の弟子、服部中庸*2だった。


(前略)中庸の『三大考』は、天・地・泉の成立を図を用いながら論じたもので、虚空からアメノミナカヌシ・タカミムスビカミムスビの三神の力で、天・地・泉が形成される過程を十段階に分けて論じている。天(タカマガハラ)は日(太陽)であって、アマテラスが支配し、泉(ヨミ)は月でツクヨミが支配する。地はスメミマ(皇御孫)が支配するところである。中庸は天文学にも通じており、神話の世界観を天体と結びつけ、その成立論を体系的に論じたところに、画期的な意味があった。その中で、皇国はイザナギイザナミの二神から生まれ、天に通じている点で、他の諸国に優越する。他国は二神の産んだ国ではないので、その点ではっきりした差別が生ずることになる。
このように、『三大考』は、宣長がなしえなかた日本古典に基づく世界観を体系化し、その中に日本優越の自尊主義を理論づけた。その際、注目されるのは、第一に、死後の魂の行方の議論が関わってくることである。宣長は死後の魂は黄泉に行くとしたが、それ以上のことはわからないと断念した。それに対して、中庸がはじめて読みの位置づけを明らかにしたことは、この語の議論に大きな影響を与えることになった。第二に、世界に優越する支配者として天皇が大きくクローズアップされることである。皇国の天皇のみが世界の支配権を委託され、代々継承していく。その支配の範囲は当然日本のみに限られず、この地上の世界全体にわたることになる。この説は、この後の平田派の神道家たちに継承され、さらに天皇支配を根拠とする自尊主義は昭和の国家主義超国家主義にもつながることになる。
『三大考』は、宣長生前に『古事記伝*3の刊本の最後に、宣長の推薦を付して刊行された。即ち、宣長のお墨付きを得たことになる。それが宣長没後に問題になり、養子の大平*4が批判を展開するなど、大騒動に発展した(金沢英之宣長と『三大考』』、二〇〇五)。その中で、『三大考』を積極的に受容したのが、平田篤胤であった。篤胤の主著『霊能真柱』は、『三大考』の修正版と言ってよく、その図を踏襲する中から自説を展開している(後略)(pp.28-30)

知らなかったマティス

国立新美術館の『マティス 自由なフォルム』*1を観た。入館したのが夜の7時を回っていたので、かなり慌ただしかったけれど。
この展覧会の目玉はやはり晩年の切り紙絵の大作「花と果実」(410 × 870cm)の日本初公開、そしてマティスがデザインした「ヴァンスのロザリオ礼拝堂」の内陣の再現ということになるのだろう。さて、アンリ・マティス*2ならよく知っている。ヴィヴィッドな色彩とリズミカルな運動性のあるフォルム。しかし、この展覧会で気づいたのは、そうしたマティスらしいマティスではないところのマティスだった。マティスは若い頃、絵画と並行して彫刻(木彫やブロンズ)も実践していた。これも知らなかったマティスなのだけど、そこに感じたのはリズミカルな運動性のあるフォルムとは真逆のこと。あらゆる運動を吸収してしまうような物質性(塊=マッス)へのこだわり。これが何よりもいちばんのショックだった。勿論、この展覧会でマティスらしいマティスに触れる幸福を享受することは否定されないので、安心すべきだろう。
それから、マティスのテキスタイル・デザイナーやバレエの衣裳デザイナーとしての側面も紹介されている。「ロザリオ礼拝堂」に関して、彼は司祭の服(カズラ)のデザインも行っているのだった。

By English Presses

承前*1


鳥山明の訃報。英語圏のメディアによる;


Fan Wang*2Dragon Ball: Japan manga creator Akira Toriyama dies” https://www.bbc.com/news/world-asia-68444060
Arata Yamamoto and Andee Capellan "‘Dragon Ballcreator Akira Toriyama dies at 68" https://www.nbcnews.com/news/world/akira-toriyama-dragon-ball-dead-rcna142397
Nicholas McEntyre "‘Dragon Ballcreator Akira Toriyama dead at 68" https://nypost.com/2024/03/08/entertainment/dragon-ball-creator-akira-toriyama-dead-at-68-after-suffering-serious-brain-injury/
CBS and AP “Akira Toriyama, creator of "Dragon Ball" series and other popular anime, dies at 68” https://www.cbsnews.com/news/akira-toriyama-dies-dragon-ball-creator-anime-dead-age-68/