http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091112/1257999602への補足? として。

- 作者: 久松真一,藤吉慈海
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1987/12/04
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久松真一「日本の文化的使命と茶道」(in 『茶道の哲学』)から。
茶道思想において、久松真一という人がどういう位置を占めているのかはわからない。ただ、その文章を読む限りでは、茶道に対する原理主義的(千利休へ戻れ!)改革主義者であったようだ。或いは『南方録』原理主義者?
その「わび茶人」というのはどういう茶人かと申しますと、それは名物の茶器を持たないとか、あるいは茶の道具を持たない茶人とかいう意味なのであります。つまり金もなければ物もない貧乏な茶人を侘茶人とか侘人とか申しました。(略)貧乏なといっても、茶人であるからには、ただ貧乏だけではないところがあるのであります。侘茶人というものは、物を持たないのを生かすというところに非常に大きな意義があると思うのであります。何もないところを生かすというようなところに非常に深い意義がある。いわば無を生かす、あるいは無が生きた無であるところに大きな意義があると思います。侘とは有以上に生きた無であります。そこまで深く考えなくとも、とにかく、家を建てるにしても金もないし、よい材料もないから、そこら辺から有り合わせのものや廃物を集めてきて、ほんの膝を容れるに足るような粗末な小屋を建てる。露地ならば、狭隘な土地をどう生かしてゆくか、その生かし方を考える。どう生かすか、その生かし方に侘の問題があるわけであります。ただ物がないということだけではなしに、その無いところをフルに生かすという精神が重要な問題であります。ことにわれわれのような物のない貧乏人や、物資の足りない時代*1には、かような「わびの精神」は誠によい生活原理でもあると思うのであります。(pp.18-19)

- 作者: 南坊宗啓
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1986/05/16
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*1:これは1952年に行われた講演。