ヴァレリー/吉本/柄谷

合田正人吉本隆明柄谷行人*1から。


たとえば『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』(一八九五年)でのヴァレリー*2は、「曖昧さ」を嫌悪し「正確さ」を強調した。そんなヴァレリーに吉本が叛旗を翻したのは当然であったかもしれないが、ヴァレリーは詩と科学の架橋を果敢に実行した先人にほかならず、事実、伊勢物語論(一九四六年)でのヴァレリーの扱いは、吉本の正反両面的な思いを明かしている(前著作集4「伊勢物語論I・II」)。さらに言うと、ヴァレリーはシステムまたは構造をめぐって、当時最も遠くまで思考を推し進めた者の一人であり、その極点で「錯綜体」(implexe)という観念を対話篇『固定観念』(一九三二年)で提起したのだった。(pp.62-63)

柄谷はそのヴァレリーから、きわめて重要な問題を引き出してくる。すなわち、人間によって「制作」されたものよりも、その素材となるもののほうが複雑であるという事実である。ゴットフリート・ライプニッツ(一六四六~一七一六)の『モナドジー』(一七一四年)六四項でも、同様の問題が提起されている、と言ってよいかもしれない。

一つの生体をなす各々の有機的身体は一種の神的機械(machine divine)もしくは自然な自動機械(automate naturel)で、それはすべての人為的自動機械を無限に凌駕している。人間の技芸によって作られた機会はその諸部分の各々では機械ではないからだ。(……)それに対して、自然の機械、言い換えるなら生きた身体はその宰相の部分でもなお無限に機械であるからだ。 (翻訳引用者)
「自然」は柄谷自身明言しているように(「心理を超えたものの影」)、吉本と柄谷の関係を考えるためのキーコンセプトにほかならないが、ヴァレリーの指摘が「自然と人為(人間)」の対立を語ったものではないこと、その点を銘記するよう柄谷は注意を促している。「制作=建築」を突き詰めていったときのその限界ないし不可能性を、「自然」という「隠喩」(メタ・ファーは「彼方への移行」を意味する)で語ったものなのだ。(後略)(pp.63-64)
柄谷行人「隠喩としての建築」からの引用;

人間によって作られたものの特徴は、その形態の構造が素材の構造より単純だという点にあると、ヴァレリーはいう。たとえば、ある文学作品の「構造」が把握されるとき、それはつねにテクストより単純である。いかなる「構造」も、何らかの意図・目的なしに考えられない。あるテクストの「隠された構造」をみるとき、すでに隠された意味、あるいは、制作者が想定されている。ところが、テクストは人間によって作られたものでありながら、それより複雑で過剰な「構造」をもつ。なぜなら、それは「自然言語」という素材によっているからである。制作者がどう制御しようと、言語そのものが別の意味をもってしまうことは避けられない。その意味でテクストは「自然が作ったもの」なのである。(Cited in pp.64-65)

これは(略)柄谷の思想的歩みにとっては決定的な箇所である。形式化ならびに「内省」を徹底させることでその外部に出るほかないと語っていた柄谷が、それでは外部に出ることはできないと「行き詰まり」を認め、「もっと決定的な『転回』」(同四九ページ)が必要だと宣言する、その踏切板となるような言葉なのだ。(p.65)

引用文では「建築」の限界として「テクスト」が捉えられるのだから(略)「テクスト」それ自体が「ディコンストラクション」である。柄谷自身、「ディコンストラクションは(……)テクスト自体を構成するものである」というド・マンの言葉を引用しているのだが(同九一ページ)、ド・マンはしかし、内を外に転じても同じ「還元主義」に陥ることを指摘した人物でもあった。
もちろん、柄谷はド・マンの警告の重さを痛いほど感じ取っていた。ただ、「それ(形式主義=牢獄)を出る道はあるだろうか」(同一四一ページ)という自問はその後どのように機能していくのだろうか。いや、なぜこのような問いが形成されねばならないのだろうか。
柄谷にとっては逆に、この問いを発することのない吉本こそ、共同体に、内部に囚われたままで外へ出られなかったということになるのかもしれないが、吉本が複雑性・過剰性と無縁であったかというと、けっしてそうではない。次の引用をご覧いただきたい。あるいは吉本は、「錯綜体」というヴァレリーの観念を意識していたかもしれない。

現に存在する人間は、生物体としても精神体としてもひとつの綜合であり、この綜合はクモの巣のようにからみあった「構造」であるために、それを〈性〉的または〈心的〉な存在として還元しようとすれば、たとえばクモの巣の一点に指をかけて引っ張ると、すべての糸がずるずると引きずられてくるように、存在の総体をすべて還元することになり、これは実際には不可能なものとなるほかない。 (『心的現象論序説』三四ページ)
(pp.66-67)
「錯綜体」については、伊藤亜紗ヴァレリー 芸術と身体の哲学』の復習は必須かも知れない。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/13/113046 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/17/122213 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/07/28/111142 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/08/07/203446

*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060123/1137995634 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080109/1199847126 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080419/1208587466 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101213/1292269811 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120407/1333827878 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120427/1335557122 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120430/1335760808 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120506/1336268010 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120601/1338525962 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120603/1338753951 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120605/1338905943 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120610/1339254978 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120612/1339511016 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120620/1340183758 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120703/1341334566 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151231/1451538519 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/15/105120 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/24/165415 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/03/085518 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/10/023804 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/15/012251 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/18/112057 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/15/023456 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/06/10/114558 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/08/02/004900 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/07/21/112304 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/27/141353 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/25/153156 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/08/13/100857 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2024/08/07/203446