「蠟細工」(メモ)

エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリー「エウパリノス」(清水徹訳)*1から。
パイドロス」が「ソクラテス」に向かって回想する「エウパリノス」との対話。


(前略)
――ぼくにとって何より重要なのは、まさにあろうとしているものから、その新しさのすべての力をもって、あったものの理性的な要請を満足させるという結果を獲得することなのだ。どうして晦渋でないことがありえよう?… いいかね、ある日ぼくは、ある薔薇の茂みを見て、それから蠟細工をつくった。蠟細工をつくり終えると、ぼくはそれを砂のなかに埋めた。迅速な〈時〉は薔薇を無と化し、火は蠟をたちまちのうちにその無定形な本性へと変える。しかし蠟細工に熱を加えて、その蠟が型から流れ失せて消えてしまったあと、固くなった砂のなかに青銅の溶液を注ぎこむと、どんなにささやかな花びらの一枚一枚もおそろかにせず、その花びらとまったく等しい窪んだ型に密着する……*2
――わかった! エウパリノス。その謎はほくには明快だ。その神話は解釈しやすい。
新鮮だったがきみの眼前で滅びてしまった薔薇とは、一切の事象、うつろいゆく生命そのものを意味するのではないか?――きみが蠟細工をつくるとき、蜜をあさるように眼が花冠のすべての上をあさって、花々に充ちあふれたままきみの作品へと戻ってきて、巧みな指先を押しあてながら
きみが造型した蠟、――それは、きみの行為ときみの新しい観察との交渉を豊かにはらんだきみの日々の仕事の形象化ではないのか?――火とは他でもない〈時〉そのもので、本物の薔薇も完全に消滅させてしまうか、広大な世界のなかに散りぢりに四散させてしまうだろう、もしもきみの存在が何らかのやり方で、さあどういうふうにやるのだかわからないが、きみの経験のひそかな堅牢さを保持していない場合には…… 青銅の溶液のほうは、たしかに、それが意味するのはきみの魂の比類ない能力であり、生れ出ようと望む何ものかの騒がしい状態だ。その多量の白熱状態は空しい熱、かぎりない反射熱となって失われ、あとに地金か不規則なかたちの鋳造物しか残らなぬだろう。もしもきみがその白熱した溶液を神秘な管で導いていって、きみの英知の明確な型のなかで冷やされ、行きわたっていくのでなければ、だから必然的に、きみの存在はふたつに分割されて、同時に熱くまた冷たく、流動的で堅固、自由でまた束縛されていなければならぬ、――薔薇であり蠟であり火であらねばならぬのです。鋳型であり同時にコリントスの金属でなければならぬのです。
(pp.41-43)
ところで、「エウパリノス」には、突然ステファヌ・マラルメ*3が言及される場面があるのだった。

パイドロス ……[美は]何かある珍しい物体にあるものではなく、またこの上なく高貴な魂たちが、自分の構想の手本、自分たちの仕事のひそかな雛形として観想している。あの自然の外にある原型のなかにあるものでさえありません。聖なるものなのです、詩人の言葉を借りて、こう語るのがふさわしいでしょう――

長きにわたる欲望の栄光、〈観念たち〉よ!
ソクラテス 何という詩人かな?
パイドロス まことに讃嘆すべきステパノス、わたしたちより何世紀もあとに現れた詩人です。しかしわたしの考えでは、わがすばらしいプラトンを産みの親とする〈イデア〉という考え方は、〈美〉の多様性、個々の人間の好みの変化、かつては絶賛された幾多の作品の消滅、まったく新しい創造、予見不能な復活などを説明するには、かぎりなく単純にすぎ、いわばあまりに純粋すぎます。他にも、もっといろいろな反論が言える!(pp.23-24)