吉本の場合

承前*1

小林敏明『柄谷行人論』から。柄谷行人の「マクベス論」(in 『意味という病』)について。


柄谷が「マクベス論」に連合赤軍事件を読みこんだことに関連して、もうひとつ思い当たることがある。それは西洋古典の読解に託して日本の政治事件を間接的に論じるという表現方法である。じつはこれには前例がある。それは吉本隆明の『芸術的抵抗と挫折』(一九五九年)*2に収められた「マチウ書試論」(執筆は一九五二年)である。私には、この吉本の「マチウ書試論」が柄谷の「マクベス論」に少なからぬ影響を与えているように思われてならない。(p.61)

「マチウ書試論」は、仏訳聖書の中のヘブライ聖書(旧約聖書)と『マチウ書』(『マタイ伝』)を綿密に読み比べて、原始キリスト教イデオロギーを析出しようとした、ある意味で画期的な聖書論であり、当時大きな反響を呼んだエッセイである。だが、これに真摯に対応した「異端」の聖書学者田川健三のような例外を除いて、その反響の大半は基督教関係者ではなく、左翼知識人たちからきたものである。というのも、このエッセイはあくまで聖書というテクストの読解を貫いているにもかかわらず、反逆や革命というもの一般がかかえる本質的で普遍的な問題を提示しているからである。そして「秩序にたいする反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である」というような主張から、当時「関係の絶対性」などというひどく曖昧な言葉が流行語になったりもしたのであった。
(略)当時の大半の読者にとって吉本は聖書研究者などではなかった。「芸術的抵抗と挫折」や「転向論」といった節制が示しているように、吉本といえば、まずなにより戦時中のプロレタリア詩や共産党非転向の欺瞞を告発する、いわば硬直したマルクス主義の運動に対する辛辣な批判者であった。だからその吉本が「マチウ書試論」を書いたとき、多くの読者がこれを共産党を中心とする旧来の左翼運動に対する批判的アレゴリーとして受けとめたのも当然である。たとえば、このなかで吉本は次のような三つの人間タイプをあげている。

第一は、己れもまたそのとおり相対感情に左右されて動く果敢ない存在にすぎないと称して良心のありどころをみせるルッター型であり、第二は、マチウ書の攻撃した律法学者パリサイ派そのままに、教会の第一座だろうが、権力との結合だろうがおかまいなしに秩序を構成してそこに居すわるトマス・アキナス型、第三は、心情のパリサイ派足ることを拒絶して、積極的に秩序からの疎外者となるフランシスコ型である。
マルクス主義の運動や労働運動のなかにこれらの人間類型を見出すことは難しくない。じじつ多くの読者はそう読んだのである。だが、ここで付け加えておかなければならない。それはこの人間論の論議が観念と現実の分離という状況認識のうえになされているということである。反逆や革命派、それが実現されていないところでは、あくまでそれが立ち向かう現実の秩序に対する観念にとどまらざるをえない。ここに柄谷の「マクベス論」が遭遇した問題との接点がある。マクベス連合赤軍とは、吉本の言葉を借りていえば、反逆や革命が「関係の絶対性」を顧みることなく、その観念の自己増殖に身をゆだねてしまった例として考えられるのだが、おそらく柄谷は「マクベス論」を書いたとき、そのような「マチウ書試論」との類似性を意識していたはずである。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」という『マタイ伝』のよく知られた一節をニーチェばりに解釈した吉本の次のような辛辣な言葉は連合赤軍のリンチ殺人の心理にも十分に当てはまるだろう。

人間は性的な渇望を、「その肉体からもぎとることは出来ない」のではない。逆である。人間は性的渇望を機能としてもっているのだ。ぼくたちが、このロギアに反抗し、嘲笑するのは、原始キリスト教が架空の観念から倫理と、くびきとを導入しているからである。前提としてある観念が、障害感覚と微妙にたすけあい、病的にひねられ、倒錯していて、人間性の脆弱点を嗅ぎ出して得意気にあばき立てる病的な鋭敏さと、底意地の悪さをいたるところで発揮している。