http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20101213/1292237229
問題はやはり形式的な考察を欠いていることか。
「フェティシズム」を修辞学的・記号論的に還元してみると、それは換喩(metonymy)である。換喩とは大まかに言って、(付着物を含む)部分によって全体を言い換える(eg. 赤門→東京大学)、或いはそれが位置する場所によって当の物を言い換える(eg. 永田町→日本の政界)比喩であるといえる。「フェティシズム」の場合、特に前者の側面が重要だろう*1。「女性の装身具など特定の物に偏愛を示す」こと。これは「女性」という全体の部分或いは付着物である。何故「倒錯」とされるのかといえば、全体(全身? 全人格?)に向かうべき欲望が部分への欲望へと摩り替えられていると見做されるからなのだろう。でも何故それが「男性」と結びつくのか。これはよくわからない。換喩はよく隠喩(metaphor)と対で語られる*2。隠喩は類似性に基づく比喩。換喩において部分→全体という方向で意味が生成するのに対して、隠喩では全体→(別の)全体という仕方で意味が生成する。呪術で言えば、相手の髪の毛を盗んでそれを燃やすのが換喩。相手の写真を燃やしたり藁人形に釘を打ち付けるのが隠喩。「女性」に結び付けられている「ナルシシズム」だが、これはヴァレリーの「ナルシス語る」でも描かれた、その神話的起源を鑑みるなら、隠喩的な特性を持っているといえるだろう。自らの影への恋慕。影は本体(自己)の類似物であり、ナルシスの欲望は全体(自らの影)→全体(見知らぬ他者)という方向を描いている。ただ、何故それが「女性」に結びつくのか。これもよくわからない。
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また、換喩は論者によってかなりまちまちな定義をされており、私が採用した定義は世間においては一般的なものではないかも知れない。文献としては、以前も提示したもので恐縮ではあるが、ローマン・ヤコブソン『一般言語学』、ロラン・バルト「記号学原理」、佐藤信夫『レトリック感覚』、エドマンド・リーチ『文化とコミュニケーション』を掲げておく。
- 作者: ロマーンヤーコブソン,川本茂雄,Roman Jakobson,田村すゞ子,長嶋善郎,村崎恭子,中野直子
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