これって「一般意志」?

社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

社会契約論 (中公文庫 D 9-2)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

承前*1

ルソーの『社会契約論』の中の或る註を採り上げて、「「一般意志」生成の前提としての〈敵〉の存在」ということをマークしておいたのだが、ポール・ヴァレリーは「フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞」において、1914年、つまり第一次世界大戦が始まったときの「祖国」に対する「陶酔」を回想している。そのとき、ヴァレリーは、或いは仏蘭西人は「一般意志」に酔っ払っていたといえるのかどうか。


戦争だって? とフランスは言うのです、――よかろう。
そしてそれが仏蘭西の歴史のなかで最も悲壮な、最も意味深長な、――言うなれば、――最も愛すべき瞬間だったのです。同じ瞬間に、同じ雷に打たれ、自分の何たるかを自覚し、回心したフランスは、この時ほど深い一体感を感じたことはありませんでした。そういう一体感を感じる可能性すら以前にはなかったのです。私たちの国は、この上なく多様で、意見もまちまちでまとまりを完全に欠いていました。それが、一瞬の裡に、すべてのフランス人にとって、一つに融合した国になったのです。私たちの意見の違いは雲散霧消し、これまで互いに相手になすりつけあっていた化け物じみたイメージから目を覚ましたのです。党派、階級、信条、過去や未来についてみんなが抱く様々な観念が一つにまとめられたのです。すべてが純粋なるフランスに収斂するのです。暫しの間、一種の予期しなかったような友情、ほとんど宗教的な同胞愛的感情、通過儀礼に見られるような奇妙で、これまで経験したことのないような甘美な感情が生まれたのです。多くの人が自分の国をこれほどまで愛することを心の中で怪しみました。そして、突然襲ってきた痛みが私たちに自分の体の深奥への意識を目覚めさせ、通常は感じられないある現実の存在に気づかせるように、戦争になったという電撃的な感覚は私たち全員にこの「祖国」の実在を見せつけ、認識させたのです。それは言葉で言い表せないこと、冷静には定義できない観念的存在、人種でも言葉でも土地でも利害でも歴史でも特定できないものです。分析すれば否定できるもの、しかし、まさにそれゆえに、その抗い難い強度において、熱愛や信仰、人間を自分でも分からないところまで連れていく、――自分の外へ引き連れて行く、あの神秘的な憑依状態の一種に似た感情なのです。「祖国」に対する感情は、恐らく痛みと同じ種類の感覚、滅多に味わうことのない異常な感覚に通じるものです。一九一四年に私たちが目にしたのは、最も冷静で、最も考え深く、最も自由な精神の持ち主と思われていた人々が祖国愛に燃え、気を動転させたことでした。(pp.338-339)
ヴァレリーは(戦争中の)1942年に「ペタン元帥頌」というテクストも書いている(pp.367-385に所収)。ペタン*2と所謂ヴィシー政権について、訳者の恒川邦夫氏は「フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞」への「解題」に以下のように記している;

ペタン元帥Phillipe Petain(1856-1951)は、第一次世界大戦の対独戦における功績(とくにヴェルダンの戦いにおける勝利)で、元帥の称号を与えられた英雄であった。しかし、一九四〇年、ナチス・ドイツの侵攻により、フランスの軍事的敗色が濃厚になった時点で、主戦派の政府首脳に対して、対独講和を主張した。そして時の内閣が倒れると、後任の首相に推され、新政府を樹立、ドイツと休戦協定を結んだ。元帥はその時すでに八十四歳になっていた。休戦協定によりフランスの北部と東部はドイツ占領下に置かれたので、フランス政府は南のヴィシーに置かれた。以後、ナチス・ドイツとの協力関係を強いられることになり、次第に傀儡政権化していった。一九四四年《自由フランス》のド・ゴール将軍が凱旋しナチスが敗北、フランスに再び共和制が復活すると、ペタンは裁判にかけられた。判決は国家反逆罪の適用による死刑であった。しかしド・ゴール将軍により、高齢を理由に、無期禁固刑に減刑され、一九五一年、九十五歳で永眠するまで服役した。ペタン将軍については、前半生の国家的英雄象と後半生のナチス・ドイツ協力者像との間に著しい断絶がある。そもそも、国家存亡の危機に際して、高齢のペタン元帥を政治の表舞台に引き出して、全権を委ねたのは当時の議会であり、国民であった。したがって、戦後になって、対独講和、休戦協定、ヴィシー政権成立などの一切を彼一人の責任に負わせるのには無理があるようにも思われる。(pp.472-473)
ここでも問題はまた「一般意志」に回帰する?