若松英輔『生きる哲学』

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔*1『生きる哲学』を読了したのは今月初め。


序章 生きる 言葉と出会うということ
第一章 歩く 須賀敦子の道
第二章 彫る 舟越保武の「かたち」が照らす光
第三章 祈る 原民喜の心願
第四章 喪う 『論語』の哀しみ
第五章 聴く 志村ふくみと呼びかける色
第六章 見る 堀辰雄と風が告げる訪れ
第七章 待つ リルケと詩が生まれるとき
第八章 感じる 神谷美恵子の静かな意思
第九章 目覚める 寄り添うブッダ
第十章 燃える 宮澤賢治と病身の妹トシ
第十一章 伝える フランクルが問う人生の意味
第十二章 認める 辰巳芳子と「いのち」
第十三章 読む 皇后と愛しみが架ける橋
終章 書く 井筒俊彦と「生きる哲学」


あとがき
『生きる哲学』ブックリスト

美智子皇后から井筒俊彦まで、14名の人々の言葉に寄り添い、鍵言葉となる動詞とともに、その「哲学」を浮かび上がらせようとする試み、といえるだろう。勿論それぞれの人(言葉)にぴったりと寄り添うというのではなく、それぞれの人(言葉)は別の人(言葉)である他者に開かれ、他者を喚起する者として提示される。例えば、美智子皇后の言葉は白川静柳宗悦の言葉を喚起する。また、この本全体を貫くテーマを強引に切り出してみれば、それは「読む」こと(また「書く」こと)であり、「コトバ」と「言葉」の区別ということになるだろう。
著者が本書で謂う「哲学」とは学問分野や学校の課目としての「哲学」ではない。「人間が自身を超える何ものかにむかって無限に開かれてゆく在り方」である(第一章、p.21)。さらに、

「哲学」とはそもそも、机上で学習する対象であるより、私たちが日々、魂に発見すべき光のようなものではないだろうか。人生の岐路に立ったとき、真剣に考え、誰に言うでもなくひとり内心で、これが私の哲学だ、とつぶやく。そうしたときの「哲学」である。
真に哲学者と呼ばれるべき人がいるなら、その人物は単に、学校で哲学を勉強した人でもなければ、哲学理論を展開する人でもない。むしろ、万人のなかに「哲学」が潜んでいることを思い出させてくれる人物でなくてはならない。迷ったとき、自らの進むべき道を照らす光は、すべての人に、すでに内在していることを教えてくれる人でなくてはならない。
近代日本において、哲学とは何かを教えてくれたのは、世間で哲学者と称されている人々ばかりではなかった。哲学者は、今日でいう「哲学」という狭い領域にはけっして収まらない。哲学は、ときに文学者、芸術家、医者、あるいは心理学者を通じて顕われた。
また、分野を問わず、「哲学」の優れた語り手たちは皆、自分を通じて語られた言葉を「私」の思想などとは呼ばなかった。彼らは閉ざされた、小さな「私」から言葉が生まれて来たのではないことを熟知していた。そればかりか、その記述を読むと自らの手によって次々に書かれる文字に。最初に驚いているのも彼らだったことが分かる。
書き手とは、発信者であるよりも、沈黙の言葉の委託者なのである。彼らは真実の語り手の「声」をいつも感じている。
その沈黙の「声」の主にふれ、ポール・ヴァレリー(一八七一〜一九四五)は、「無名のひと、おのれを出し惜しむひと、告白することなく死んでゆくひと」(『ムッシュー・テスト』清水徹訳)と書いたことがある。あえて語ることをしない、真に哲学者と呼ばれるべき市井の賢者の声を聞きとること、それこそが書き手にゆだねられた神聖なる義務だというのである。(pp.21-22)
共感するところの多いパッセージではあるけど、その一方で、そのような「市井の賢者の声」を「哲学」という制度に回収していいのか、それを避けるためにも、この数十年間、「哲学」よりも〈思想〉とか〈知〉という言葉を努めて使用するようになったのではないか、と思ったりもするのだ。