Chine par Valery

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリーの「東洋と西洋――ある中国人の本に書いた序文――」*1から;


中国は、ずっと長い間、我々にとって、別の天体であった。そこに住むのは我々の幻想が生み出した住人だった。なぜなら、他者を我々の眼に奇異に映るものに還元してしまうのは、この上なく自然なことだからだ。かつらを被り、色粉をはたいた顔、あるいは山高帽をかぶった顔は、辮髪をなびかせた顔を理解できないのである。
我々はこの途方もない人民に、支離滅裂に、叡智と種々の愚考を仮構している。弱点や持続性、ある種の無気力と驚異的な手先の器用さ、ある種の無知と、その反面の、抜け目のなさ、素朴さとその反面の繊細さ、それらはすべて比類のないものである。簡素かと思えば、驚嘆に値する洗練された事物がある。我々は中国を莫大かつ無力、創意に富むが足踏み状態にあり、迷信が横行するわりに神は存在せず、残虐な面がある一方で哲学的であり、家父長が統治しているようで腐敗している国だとみなしてきた。そして我々が中国について抱くこうした無秩序な観念に惑わされて、エジプト人ユダヤ人、ギリシア人やローマ人に関連づけて考えることが慣わしになっている我々の文明システムの中にどう位置づけていいのか分からないのだ。中国が我々に対してそう思っているからといって、彼らを野蛮人だときめつけるわけにもいかないし、かといって、我々が誇りに思っている高みにまで持ち上げることもできないので、我々は、中国を別の天体、別の歴史、現実的であると同時に不可解な、共存者ではあるが、けして交わることのない存在範疇に分類するのである。
我々にとって最も理解し難いのは、精神の意志が制約され、物質的な力の使用が抑制されることである。羅針盤を発明しながら、好奇心をさらに一歩進めて、磁気科学にまで注意をこらさないのなら、何のためか、とヨーロッパ人は自問する。また、羅針盤を発明しながら、海の彼方にある陸地を探索し支配するために、遠く艦隊を派遣することを考えずにどうしていられようか、とも考える。――火薬を発明した人たちは、化学を発達させることもなく、大砲を作ることもなく、それを使って夜の虚しい遊びごと、花火に興じるだけだ。
羅針盤、火薬、印刷術は世界の様相を変えた。それらを発見した中国人たちは自分たちが地球の安眠を無際限に破ったことに気づいていなかった。
我々にとって、それは、言語道断だった。とことんやらないと気がすまない気質を最高度に持っている我々*2、そういう気質を少しも持たないことが理解できず、あらゆる利点や機会からこの上なく厳密で過剰な結果を引き出さないでどうしていられるかと思っている我々にとって、それらの発明をとことん発展させることは必定である。我々の仕事は世界を身動きができなくなるほど狭くし、未知の事象の茫漠たる広がり以上に、自分で実際に知ることができる範囲の知識で、精神をとことん責めたてることではないのか?(pp.300-302)
このテクストは、Cheng Tcheng(盛成)Ma mere(1928)のために書かれた序文。ヴァレリーは 盛成について、「この人は、自身、中国の知識人の息子であり、かの尊敬すべき、高名なる老子の末流にあたる古い家柄の出で、フランスには自然科学を学ぶためにやってきた」と書いている(p.309)。
Cheng Tcheng(盛成)については取り敢えず、


http://baike.baidu.com/view/465855.htm(中文)
http://www.larousse.fr/encyclopedie/ehm/Cheng_Tcheng/180727 (仏文)


をマークしておく。またポーランド生まれの女性画家Mela Muter*3による盛成のポートレイトあり*4。仏文のテクストは短すぎるが、『百度百科』の方を読むと、(20世紀の中国知識人にとっては決して例外的ではないのだが)まさに波瀾万丈の人生だったことがわかる。