『精神の危機 他十五篇』

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリー『精神の危機 他十五篇』(恒川邦夫訳、岩波文庫*1を一昨日読了。


精神の危機
方法的制覇
知性について
我らが至高善 「精神」の政策
精神連盟についての手紙
知性の決算書
精神の自由
「精神」の戦時経済


地中海の感興
オリエンテム・ウェルスス
東洋と西洋――ある中国人の本に書いた序文


フランス学士院におけるペタン元帥の謝辞に対する答辞
ペタン元帥頌
独裁という観念
独裁について


ヴォルテール


解題・訳注
ポール・ヴァレリーにおける〈精神〉の意味(恒川邦夫)

この本は訳者の恒川邦夫氏によると、「ポール・ヴァレリーの評論の中から、〈精神〉をキーワードに、代表作を選んで一巻にまとめたものである」(「ポール・ヴァレリーにおける〈精神〉の意味」、p.483)。ここでは最後の「ヴォルテール」を除いて、収録されているテクストに直接言及することはしないが、ヴァレリー謂うところの「精神(esprit)」が如何なるものなのかは、やはり抜いておいた方がいいだろう。「精神の危機」から;

私が言いたいのは、人間は不断に、かつ、必然的に、存在しないものを念頭に浮かべて、存在するものと対立する存在だということである。人間は自分の夢に、営々とした日々の努力によって、あるいは天才の発動によって、現実界が持つ力と精度を与えようとする。その一方で、現実界に徐々に大きな変更を加え、現実界を自分の夢に近づけようとするのだ。
他の生物は外的変化によってしか、脱皮や変身にはいたらない。彼らは適応するのだ。sなわち、彼らの生存の根幹をなす性格を保存するために姿を変えるのである。そうすることによって、彼らは環境と調和を保つのである。
彼らは、私の知る限り、その調和を自然に破る習性はない。たとえば、動機もなく、外的な圧力や要求なしに、適応していた気候を離れるようなことはない。彼らは生存適性を盲目的に追求するが、よりよい状態をめざす衝動に駆られることはない。よりよい状態とは適性に対する反逆であり、まかりまちがえると最悪状態を生じかねないものである。
しかし、人間は内部に環境との調和を打ち破ろうとする衝動を持っている。人間は自分を包みこんでいるものに満足しない何かを内に秘めているのだ。人間は刻一刻変貌する。人間は欲求や欲求の満足からなる一つの閉鎖系を構成しない。人間は満足すると、そこから満足感をひっくりかえすだけの何かしら過剰な力を引き出すのだ。体や体の欲求が満たされるや否や、内奥部では何かが作動しはじめ、人間をひそかに苛み、触発し、命令し、駆り立て、突き動かす。それが「精神」、汲めども尽きせぬ諸々の問題を内に孕んだ「精神」というものなのだ……。
精神は我々の内部で永遠に問いつづける。誰が、何を、どこで、いつ、なぜ、どんなふうに、どんな手段で、と。精神は過去を現在に、未来を過去に、可能態を現実態に、イメージを事実に対置する。精神とは先行するものであると同時に遅滞するものである。構築するものであると同時に破壊するものである。偶然であると同時に計算である。精神は、したがって、存在しないものであると同時に、存在しないものに供される道具である。(後略)(pp.31-32)
さて最後に収められている「ヴォルテール」はヴァレリーの死の前年である1944年12月に行われたヴォルテール*2生誕250周年記念講演。その中で曰く、

彼の名前を不朽にしたその生涯の決定的な出来事とは、彼が人類の友、人類の擁護者に変貌したことです。一般には生涯の活動が完了する年齢、「文学」が個人に与え得るかぎりの名声を身に受け、四方から賞賛され、富も手に入れる年齢、あとはこの知性に酔い、知性の黄金時代だった百科全書派的な雰囲気に包まれて、あの軽やかな普遍性を享受するだけでよかった時に至って、彼は、突然、変身して、今日我々がここで顕揚するような人物になったのです。もし彼が六十歳で死んでいたら、彼は現在ほとんど忘れ去られていたでしょう。そして我々がここに厳かに集まって、『メロープ』や『ザイール』や『ラ・アンリアード』の作者に敬意を表することもないでしょう。本日の集まりの真の目的は(略)彼の最も不変的で寛大な情熱、精神の自由に対する情熱を、我々フランス人として、大いに顕彰することです。(後略)(p.417)

(前略)彼は一種の新しいタイプの立法者となりました。なぜなら、彼はまったく新しい犯罪を定義し、制定したからです。それまで刑法は社会秩序への違反と不敬、「国家」や「国家」宗教に対する犯罪にしか適用されてきませんでした。しかしヴォルテールは人道に反する犯罪、思想に対する犯罪があることを宣言し、それらの罪を告発したのです。(後略)(p.421)
ここでヴァレリーは人権や思想の自由をヴォルテールとともに称揚しているのだが、ちょうど第二次世界大戦、独逸による占領、ヴィシー政権と重なるヴァレリーの最晩年はかなり複雑であるようだ。一方でヴァレリーは生涯最後の恋愛に心を悩ましていたということがあるのだが(清水徹ヴァレリー*3第8章)、1941年には(ユダヤ人である)アンリ・ベルクソンに対する弔辞を読み、1942年には「ペタン元帥頌」を書いている*4
その他のテクストについてはまた後日。
ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)

ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)