「集合」と「偶然性」

承前*1

合田正人吉本隆明柄谷行人』。吉本の初期テクスト「詩と科学との問題」について。吉本は数学者、遠山啓の講義を聞き、ゲオルク・カントールの「集合論」を知った。


(前略)吉本は先の引用文*2で、関係なるものを、「必然性」「因果性」の崩壊と結びつけた後、量子力学と確率論に言及し、「微視的自然現象における現象に固有な時間と空間の間の流動的な〈非因果律的な〉作用概念の確立」(全著作集5「詩と科学との問題」七ページ)を夢想している。吉本のいう「関係」は、関係する項によってあらかじめ決定されたものではなく、「非線形性」を、そしてまた、「遭遇」(con-tangere)を原義とした「偶然性」(contingence)を含意していることになる。
「偶然性」は、明示的には十九世紀後半から哲学と科学に取り憑いた大問題で、エミーッル・プートルー(一八四五~一九二一)、九鬼周造(一八八八~一九四一)、サルトルメルロ=ポンティらのキーコンセプトとなった。私はかつて、ジル・ドゥルーズ(一九二五~一九九五)のヒューム論を訳出する過程で、ドゥルーズがそれを吉本とほぼ同時期に「関係の外在性」と呼んでいたことを知った。そして、柄谷もまた、「関係の偶然性」という表現を使用していることを。(pp.43-44)

集合論は、その要素を選別する定義によってその枠ないし範囲を確定するはずなのに(略)その枠が原理的に矛盾を孕んだものとして現れてしまう。逆にいうなら、バートランド・ラッセル(一八七二~一九七〇)が、「《自分自身を要素として含まない集合》を全部集めた集合R」について、「RはRの要素である」「RはRの要素でない」という二十の帰結が不可避に導かれることを示したように(ラッセルのパラドクス)、ある項がある集合の要素となるか否かが本質的に決定不能な場合があるのだ。
量子が粒子であり波動でもあるという事態、善悪の区別も、その事例であろうし、翻って同じ事態を、一方では、ある集合(領域)と他なる集合(領域)との截然たる区別の不可能性として、他方では、集合の「集合」と称されるものそれ自体における同一性(アイデンティティ)の不在として捉え直すこともできるだろう。(pp.45-46)

集合の要素となることを「帰属」(アイデンティフィケーション)と呼ぶことができるとするなら、カントール集合論は、集合という枠(その限界・境界)の設定自体も、集合(領域)と集合の区別も、集合への「帰属」「離脱」も、帰属・離脱する項の「同一性」(アイデンティティ)も、決して自明の理ではなく、それどころか強烈な背理を秘めていることを告げていた。だから吉本には、カントール集合論が、敗戦直後の日本(と世界)ならびにそこに「内‐存在」するもの――彼自身も「含めて」――を映し出すものと感得されたのだろう。
このことは極限的と呼ばれる状況においてまれに露呈する例外ではまったくない。「世界‐内‐存在」「日本‐内‐存在」「家族‐内‐存在」等々、「内‐存在」とは日常性が抱える根本的な矛盾にほかならない。再びハイデガーの語彙を用いるなら、「集めること」(Sammlung)、「住むこと」(Wohnung)の危機、「危機的分界地帯」(kritiche Zone)そのものの危機と言い換えていいだろう。老若男女を問わず、どの国の人々の営み、歓び、倦怠、苦しみ、飽食、飢えもみなそこに起因しているといっても、決して言い過ぎではない。そのことを吉本は、遠山の講義から掴んだ。遠山の講義によって刻印されたのである。
「集めること」といった。それはハイデガーにとって「ロゴス」の語源的意味にほかならなかった。(略)「集めること」「ロゴス」は「綜合」(syn-thsis)[ともに‐置くこと]の別名であり、「綜合」は「システム」(sym-histemi)[ともに‐立てること]と同義である。(略)柄谷をゲーデルに向かわせたのも、いや、カントール集合論の根底にあったのも、カントに顕著に見られる「綜合」の問題であった(後略)(pp.46-47)