哲学と中国など(メモ)

坂本邦暢「初期近代の哲学における中国文化」http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20120316/p1


D. E. Mungello*1 “European Philosophical Responses to Non-European Culture: China”(in Danial Garber and Michael Ayers[eds.] The Cambridge History of Seventeenth-Century Philosophy*2 )の紹介。 
例えばJonathan Spence先生のThe Chan's Great Continent*3(特に第5章)やFrances Wood The Lure of China*4と併せて読むべきテクストなのだろうか。中国の最近のテクストでいえば、范存忠『中国文化在啓蒙時期的英国』*5とか祝勇『紙天堂――西方人與中国的歴史糾纏』*6とか。

The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

The Chan's Great Continent: China in Western Minds (Allen Lane History S.)

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard

The Lure of China: Writers from Marco Polo to J. G. Ballard


他方マルブランシュは世界を不可分な理と気の結合によって把握する儒教(正確には朱熹の思想)は、非物質的なものと物質的なものの独立を認めないスピノザ主義だとして批判し、返す刀で自分はスピノザ主義者ではないよとアピールしていました(中国哲学スピノザ思想と結びつけることは当時しばしば行われていたらしい)。
後の中国では、荘子スピノザに結びつけるということが行われましたが(例えば馮友蘭)*7。また中国人(或いは日本人)が西洋哲学を受容したときには朱子学のタームで翻訳したわけだけれど。

聖書では大洪水が起こってノア以外みんな死んだという描写があります。この洪水の時期は当時の著名な年代学の書物による紀元前2349年であったとされていました。ところが1658年にイエズス会士が中国文明の開祖伏羲は紀元前2952年に遡るという見解を記した書物を出します。あれ、その時代からずっと中国人が中国に住んでいるなら、洪水のときにノアしか生き残らなかったっていうのは嘘にならない?困った。ここでイエズス会士たちは一つ抜け道を見つけました。先にあげた洪水を紀元前2349年とする推計は、旧約聖書ラテン語訳に基づいた推計でした。この参照先をギリシア語訳(七十人訳)に変えると、洪水の時期は紀元前2957年になる。おお、これなら中国文明の始まりが紀元前2952年でもぎりぎりセーフ。生き残りはノアだけとできる。というわけでイエズス会士たちは洪水の年代決定をギリシア語訳に基づいて行うようになりました。
この問題については岡崎勝世『聖書VS.世界史』をマークしておく。
聖書VS.世界史 (講談社現代新書)

聖書VS.世界史 (講談社現代新書)

ところで、ポール・ヴァレリー「東洋と西洋――ある中国人の本に書いた序文――」*8から;

人類にとって不幸なのは、異国の人々との関係が、共通の根を探したり、何よりもまず双方の感性の照応関係を見出したりするのには最も適さない人たちによって始められるという事実である。
異国の人々との接触はまず双方の最も無情な、最も貪欲な人たちによって始められる。さもなければ、自分たちの教説を押しつけるのに熱心で、そこが最初に挙げた人たちと違うところだが、与えるばかりで、受け取らない人たちによって始められる。両方とも交換の平等が目的ではない。彼らの役割は平和や自由、他者の信仰や財産を尊重することとはまったく無関係である。彼らのエネルギー、才能、叡智、献身は不平等を作り出し、利用することに傾注される。彼らは自分たちがされたくないことを他者に対してするが、そのためには力を尽くし、しばしば献身的な努力をする。ところで、熱心な人々を言いなりにしたり、誘惑したりするためには、意識的ではなかったにしても、場合によっては良心的なつもりであったとしても、人々を軽蔑しなければならない。始めに軽蔑ありきなのだ。そして軽蔑ほど容易に相手に伝染し、迅速に相互性が確立されるものはない。(pp.303-304)
さて?
精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)