ヴァレリーは「無神論者」だったか

清水徹氏は『ヴァレリー――知性と感性の相剋』*1で、ポール・ヴァレリーとその愛人カトリーヌ・ポッジとの破局を巡って、


(前略)ヴァレリーにとっては思考の純粋さと厳密さが重要なのであり、世間で哲学として認められているものを軽蔑し、ふつう一般に認められている価値を絶えず疑問視するようなところがあり、そこには根深い懐疑主義が巣食っているのだが、そういうヴァレリーにカトリーヌはニヒリズムを認めて衝撃を受けてしまうのだった。それにまた彼女は本質的に信仰者の素質の持ち主であり、霊的な高みをつねにめざすところがあったが、ヴァレリーはおよそちがった。キリスト教にもとづく道徳的価値に賛同していた彼女にとって、肉体と精神とは最終的に同じものなのであり、したがって、無神論者であるヴァレリーにとってはひたすら知的な領域に属する純粋さと厳密さとは、カトリーヌにとっては日常生活においても守らねばならぬものだったのである。こうして、ふたりの不倫関係が必然的にもたらす妥協が彼女にはしだいに耐えられなくなってきた。ヴァレリーが[妻である]ジャニーと一緒に暮らしているという事実自体が許せなかったのだ。(pp.103-104)
と述べている。また清水氏は、短編小説「マダム・エミリー・テストの手紙」でムッシュー・テストの妻エミリーが「モッソン神父」に「主人を見ていると神なき神秘家というものを考えることがとてもよくあります」と語る場面を引いて、「この《神なき神秘家》こそは、家庭生活を営みながら《カイエ》で思索を霊的なるものまで推しすすめているヴァレリーにとって、もっとも理想とするありよう、ムッシュー・テストの根源的なありようだったのではあるまいか」とも述べている(p.116)。
ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)

ヴァレリー――知性と感性の相剋 (岩波新書)

テスト氏 (福武文庫)

テスト氏 (福武文庫)

ところが、山田直『ヴァレリー』では「ヴァレリーはいわゆる無神論者Atheeではない」とはっきり述べられている(p.158)。先ず山田氏は西欧社会における「無神論」と日本人が考えているような「無神論」は全然違うのだと主張する。

現代の日本人は一般に宗教心が希薄であるといわれている。確かに西欧キリスト教社会、イスラム教国、あるいは東南アジアの仏教国の人びとの宗教生活に比べると、この指摘にはじゅうぶんな正当性があるように思われる。(略)私を含めて多くの人は、正月の初詣や七五三には神社に参拝し、結婚式を教会で挙げ、死んだときには仏教の儀式に従うという、はなはだ一貫性を欠いた行動様式を採ったとしても、そのために世間から非難されるということはない。宗派の違う知人の葬式に列席しても、その家の宗教の式次第に神妙に従っており、また強要されるということもまれである。日本社会は、この点よくいえば宗教上寛容であり、悪くいえば無関心、無信心ということになろう。
このような傾向からして、日本人のなかには自分が無神論者だと思いこんでいる人が多い。ある意味ではこの考え方を否定できないが、西欧社会でいう無神論者とは大きなへだたりがあることをわきまえておく必要があるであろう。西欧での無神論はもっと積極的で烈しい性格を持つ。すなわち神の存在そのものを否定し、宗教教義を論難する。共産主義のように社会制度のなかに宗教をいっさい認めないという姿勢もあり、また既成宗教の神は否定するが、そのいっぽうで独自の哲学に従ってまた新しい神を持ちだしてくる行き方もある。いずれにもせよ無神論の前提にはひといちばい熱心な信仰心がまず存在し、これによって従来の神を拒否することから無神論が誕生するのである。したがって逆説的にいえば無神論者は熱心な信者と同等、あるいはそれ以上の烈しさで、神にこだわりつづけているのである。日本的無神論にはその前提の段階で神へのこだわりがまるでないのだから、この点で両者の精神的環境は一八〇度異なるといってよい。(pp.158-159)

さてヴァレリーはどうだったかといえば、パスカルのように、あるいは同世代のカトリック詩人クローデルのように、熱烈なカトリック信者であったとはいえないし、また晩年のジッドのように宗教的回帰もおこなっていない。しかしそのいっぽうで、ニーチェのように「神は死んだ」というような神を否定することばを吐いてもいないし、また独自の神を創造して既成の神を拒否することもしていない。この点から考えても決して彼を無神論者の範疇に属させることはできない。
ヴァレリーの宗教的環境はフランス社会、あるいはイタリアを含めた南欧社会の慣習に従ってカトリックであった。(略)
まず審美的視座からはきわめて肯定的である。彼が学生時代にヴィオレ=ル=デュックに心酔したことはすでに触れた*2。そして彼が愛した建築美のなかには長い伝統によってはぐくまれた教会建築の美しさもまた含まれていたのである。またカトリック教会が執り行う儀式にも彼は大きな興味を示している。これは個々の詩の創造能力にもましてソネット形式の創案を詩への最大の貢献と解釈する、ヴァレリーの形式美への愛に繋がるものである。このように彼はカトリックの信仰そのものというより、信仰の周辺にあって信仰を支えているものに対しては概して肯定的である。
だがカトリックの教義や信仰に対しては積極的な肯定が見られない。というより肯定的でも否定的でもないといったほうがいっそう正確な表現であろうか。ヴァレリーにとっての信仰は人間個人の魂のなかにある神秘的な部分であり、知性のおよぶ領域を超えたところにあった。換言すれば彼が知悉している壁の表面の向こう側にある世界の出来事だったのある。その意味で熱烈な信仰はヴァレリーとは無縁であった。(pp.159-160)

ヴァレリーの知的探究の原則は知性のおよぶぐりぎりの線まで明らかにすることであって、その一線を超えることは厳しく自戒する。ヴァレリーの信仰に対する姿勢も同じ基本的態度に貫かれていたのであって、信仰の存在は認めるにしても、知性の光のおよばぬ魂のなかの神秘的な暗い部分に深くはいりこむことは固く自らに禁じていたと思われる。したがって信仰が社会的動物としての人間生活におよぼす影響、歴史・社会・政治・倫理に対する働きかけの面では活発な考察が加えられるけれど信仰そのものへは決してはいりこまなかった。(略)
ヴァレリーのこの姿勢は、孔子の「怪力乱心を語らず」という実践道徳的思想、良識ある社会人として宗教に接する対処法に近い。このことがヴァレリーの思想を私たち日本人にも広く受けいれやすくしていた大きな原因の一つであると思う。(p.101)
さて?
ヴァレリー (Century Books―人と思想)

ヴァレリー (Century Books―人と思想)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120407/1333827878

*2:p.49. ヴィオレ=ル=デュックは「古建築の科学的復元の理論を唱え、それを実際に実現し」た。