ロラン・バルトの祖母など

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリーが盛成の著書のために書いた序文「東洋と西洋」*1を読んで、ヴァレリーが序文を書いた中国人はもう1人いた筈だということを思い出した。堀田善衛は『上海にて』で、「草野心平氏によると、ヴァレリーの序文をもらって陶淵明の仏訳詩をパリーで出版した詩人の梁宗岱氏は、現在広州の中山大学でフランス文学を教えているというが、蝿や蚊を全人民総がかりで叩き殺すように、旧社会の、悪の一切を総がかりで叩き潰し一掃することを建前としている国で、梁氏が熟知している筈のボオドレエル詩を若い世代に教えることは、なかなかの難事であろうと思う」と書いている(p.83)*2

上海にて (集英社文庫)

上海にて (集英社文庫)

さて、『書城』2012年5月号に劉志侠、廬嵐「梁宗岱與巴黎文藝沙龍」という文章あり(pp.37-43)。
梁宗岱に関する基本文献として、


張瑞龍「詩人梁宗岱」『新文学史料』1982年3月号
甘少蘇『宗岱和我』重慶出版社、1991
黄建華、趙守仁『梁宗岱』広東人民出版社、2004


が挙げられている(p.37)。しかし(梁宗岱の口述筆記を含む)甘氏の本以外では、梁宗岱が巴里の文学サロンに出入りしていた事情は言及されていないという。この文章の著者たちによると、2005年に仏蘭西で刊行されたLe ciel a eu le temps de changerというJean TardieuとJacques Heurgonの往復書翰集に巴里時代の梁宗岱への言及があるという(pp.39-41)。それによると、梁宗岱が出入りしていたのはNoemie Revelin夫人のサロン。彼女は最初アフリカ探検家のLouis Gustave Bingerと結婚し、離婚後、左翼知識人で『ユマニテ主筆のLouis Revelinと結婚した。Louis Gustave Bingerの娘を1人産んだが、彼女はあのロラン・バルトの母親で、Noemie Revelin夫人はロラン・バルトの母方の祖母ということになる。また彼女はポール・ヴァレリー崇拝者のひとりであった。
Jean Tardieuは詩人/劇作家で、1933年にその詩”Le Fleuve cache”をヴァレリーに認められ、1945年にヴァレリーが没した際には、Les lettres francaisesヴァレリー特集号に散文詩”Pour un tombeau de Valery”を寄稿している(p.43)。彼は劇作家(不条理演劇)としての方が有名であるようだが、『書城』の文章では劇作家としての側面への言及はない。Jean Tardieuについては以下も参照のこと;


Jerome P. Crabb “Jean Tardieu” http://www.theatrehistory.com/french/tardieu_jean.html
Claude Beauclair “Jean Tardieu” http://web.whittier.edu/mmchirol/JT-EssayUS.html
http://fiches.lexpress.fr/personnalite/jean-tardieu_25075
http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean_Tardieu
http://www.amis-auteurs-nicaise.gallimard.fr/html/autgall/02505.htm


Jacques Heurgonは羅典語学者。彼については取り敢えず、


James Kirkup “OBITUARY: Professor Jacques Heurgon” http://www.independent.co.uk/opinion/obituary-professor-jacques-heurgon-1524101.html
http://fr.wikipedia.org/wiki/Jacques_Heurgon


を参照のこと。
さてロラン・バルト文化大革命末期の1974年4月に弟子のジュリア・クリステヴァらとともに中国を旅行している。『書城』の同じ号に掲載された徐鵬遠「橱窓後的旅行」(pp.71-72)は昨年12月に『中国行日記』として中国語訳が出版されたバルトの中国旅行記Carnets du voyage en Chineの書評。クリステヴァにとってこの旅行が『中国の女たち』*3の元になったものであるのに対して、バルトはこれをきっかけにマルクス主義者をやめたということを何処かで読んだことがある。バルトの思想的な遍歴において重要(深刻)な意味を有するにも拘わらず、日本でバルトのことが論じられる際に(あくまでも管見の限りではあるが)中国旅行のことは殆ど語られていないような気もする。徐鵬遠氏は、ここでのバルトの文章は味気ないと評しつつ、さらに味気なかったのは「現実」(当時の中国)だったのだと述べている(p.71)。

中国の女たち (アジア文化叢書)

中国の女たち (アジア文化叢書)