「多数」から「ひとり」へ

エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

エウパリノス・魂と舞踏・樹についての対話 (岩波文庫)

ポール・ヴァレリー*1「エウパリノス」(清水徹訳)in 『エウパリノス 魂と舞踏 樹についての対話』、pp.5-128


少しメモ。


ソクラテス (前略)わたしは多数の者として生まれ、たったひとりの者として死んだのだ。生まれたての子供は無数の群衆なのだが、人生はたちまちのうりに、その群衆をたったひとりの個人へ、自己を表示し、ついで死んでゆく一個人へと還元してゆく。わたしとともに数多くのソクラテスが生まれ、そこからすこしずつ、いつか司法官の前に立たされ毒人参を飲まされることになるソクラテスが切り離されていったのだ。
パイドロス とすると、その他すべてのソクラテスはどうなったのです?
ソクラテス 観念になったのだよ。彼らは観念の状態として残った。彼らは存在したいと要請したのだが、拒否されてしまった。わたしは彼らを、わたしの内部に、わたしの疑惑、わたしの矛盾等々として保持している。ときにより、そうした人間の芽ばえは機会に恵まれることがあり、そうしたときわたしたちは、ほとんど本性を変えそうになる。わたしたちのなかに存在しようとは思いもかけなかった志向や才能に気がつく
ことがあるものだ。音楽家が将軍になったり、水先案内人が医師の天分を自覚したりする。自分の美徳に見とれ、自分を尊敬していた者が、みずからのうちに隠れたカークス*2を発見したり、泥棒の魂に気づいたりするのだ。
パイドロス たしかに人間のある年齢というのは、そのときどきに十字路のようなものですね。
ソクラテス 思春期はとりわけさまざまな道の中央に位置している…… 若かりしある日、わが親愛なるパイドロス、わたしはわたしのいくつもの魂のあいだで奇妙なためらいを経験したことがある。偶然が、わたしの手のなかに、この上なくえたいの知れない物体を置いたのだ。そしてその物体がわたしに行わせた果てしもない省察には、その後わたしがそうなった哲学者へとわたしを導く可能性もあったし、わたしがならなかった芸術家へと導く可能性もあった……(pp.70-71)
因みに、「エウパリノス」というテクストには、「エウパリノス」という人物は直接登場しない。「亡霊」となった「ソクラテス」と「パイドロス」の対話の中で、「パイドロス」によって言及される存在。
ところで、「ソクラテス」は冥界において、「他の亡霊たち」から孤立していた。「パイドロス」曰く、

こんなところで何をしているんです。ソクラテス? ずっと前から探していたんですよ。わたしたちの住むこの薄明の地すべてを駆けめぐり、いたるところであなたのことを訊ねました。ここではだれでもあなたのことを知っているのに、長いことあなたを見かけていないと言う。なぜ他の亡霊たちから遠ざかったのです。どんな考えがあって、あなたの魂は、わたしたちの魂から遠く離れた、この透明な国の辺境へと引き寄せられたのです?(p.7)

いったい何のために、こんなふうに隠遁しているのです? わたしたちみんなから離れて、何をしておられる? アルキビアデスもゼノンも、メネクセノスもリュシスも、わたしたち仲間はみんな、あなたを見かけないことに驚いています。みんな、あてもなく語りあい、みんな亡霊のままただざわめいている。(p.8)