関裕二「「神事」「神祭り」だけではない「大嘗祭」に隠された最大の謎」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191114-00546111-fsight-soci
岡田精司の説に従って、天皇即位儀礼としての「大嘗祭」*1が始まったのは天武天皇のときではなくその妻でもある持統天皇のときだという。そして、「天武と持統の間には、史学者たちが見逃してきた大きな断層が横たわる」という。
関氏によると、持統天皇は天智天皇の娘として闘ったということになる。しかし、調べてみると、天武天皇の妃には自らの姪に当たる兄・天智の娘が持統天皇を含めて4名いるのだった。つまり、持統天皇が闘わなければならなかったライヴァルというのは(腹違いではあるものの)自分の姉妹だったのだ。だから、ここで天智VS.天武という図式が出てくる必然性はないことになる。これについては、関氏も「 持統天皇は天武崩御の直後、実の姉の子・大津皇子を冤罪で殺して、息子の草壁皇子を皇位につけようとした」と述べている。また、持統の外祖父は蘇我倉山田石川麻呂で、中大兄皇子によって死に追い込まれているので、彼女は実の父に怨恨を持つ理由もあったわけだ。
『日本書紀』は、天武天皇と持統天皇の睦まじい様子を強調する。しかしこれは、かえって不自然で、夫婦の仲を礼讃される天皇は、他に例がない。持統天皇は天武崩御の直後、実の姉の子・大津皇子を冤罪で殺して、息子の草壁皇子を皇位につけようとした。この時代は律令整備のために例外的に天皇の独裁が認められていたから、みな血眼になって玉座を奪い合った。権力闘争渦巻く時代の「おしどり夫婦」はじつに怪しく、『日本書紀』は何かを隠している。大嘗祭は、この権力闘争の中で勝利した持統天皇が、「正当性」「正統性」を証明するために編み出したのではあるまいか。そう思う根拠の1つは、大嘗祭と伊勢祭祀が、よく似ていて、しかも伊勢神宮も天武ではなく持統天皇が整備した可能性が高いからだ。
伊勢神宮は5世紀後半の雄略天皇の時代に整えられたと考えられている。伊勢神宮にまつわる記事が、雄略紀に集中しているためだ。ただし、今日のような形に整備されたのは、天武・持統朝と考えられるようになってきた。さらに、持統天皇の時代に、伊勢神宮が整えられたとする説が登場した(上田正昭『古代国家と宗教』角川書店)。持統3年(689)4月、皇太子・草壁皇子(天武と持統の子)が亡くなったとき、柿本人麻呂は挽歌を作り、その中に、「天照(あまて)らす 日女(ひるめ)の尊」が登場する。上田正昭はここに、皇祖神で太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)が創作され、同時に伊勢神宮が整ったという。その通りだろう。
連載中*2述べてきたように、持統天皇の父・天智天皇は弟の天武天皇とは犬猿の仲だった。持統天皇と藤原不比等は本来男神だった太陽神・天照大神を女神にすり替え、その上で、持統自身を天照大神になぞらえることによって、「天智系の女帝から始まる(観念上の)新たな王家」を創始し、天武の王家を否定したわけだ。そして、この神話を世に知らしめるために、伊勢神宮は整備されたのだろう。
「持統天皇と藤原不比等は本来男神だった太陽神・天照大神を女神にすり替え、その上で、持統自身を天照大神になぞらえることによって、「天智系の女帝から始まる(観念上の)新たな王家」を創始し、天武の王家を否定したわけだ」という。アマテラス*3のジェンダーについてはたしかに色々なことが言われている。しかし、アマテラスが「本来男神だった」という根拠は何なのだろうか。
藤原不比等というのは九州王朝主義者(古田武彦信者)からは蛇蝎の如く嫌われている*4。古田武彦信者は不比等=鎌足だと信じていることが多いが、不比等は天智天皇の御落胤だと当時から信じられていた。持統の孫の文武天皇以後、天皇が藤原氏の娘を娶る慣例化されるので、奈良時代の天皇は父系では天武の子孫、母系では持統と藤原不比等を経由して天智の子孫ということになる*5。
「なぜ、童女が天皇家の大切な祭りで活躍するのかといえば、童子や童女は「鬼と対等な力をもつ鬼」と信じられていたからだろう」という。その根拠は? また、ここでいう「鬼」というのは日本語のオニなのだろうか、それとも漢語の「鬼(gui)」なのだろうか。
大嘗祭と伊勢祭祀は、よく似ている。そっくりな「秘密」を抱えている。それが、祭祀の中で重要視(特別視)されている2人の童女の存在だ。伊勢の場合は「大物忌(おおものいみ)」、大嘗祭の場合は「造酒童女(さかつこ)」と呼ばれている。彼女たちが祭祀の先頭に立ち、秘密の神を祀っている。伊勢の大物忌は本殿床下に隠されてある秘中の秘・心の御柱(しんのみはしら)を唯一祀ることができる。心の御柱に御饌(みけ=神に捧げる食べ物)をお供えする役目だ。大嘗祭の造酒童女も、祭祀の準備段階から、重要な役割を担う。
なぜ、童女が天皇家の大切な祭りで活躍するのかといえば、童子や童女は「鬼と対等な力をもつ鬼」と信じられていたからだろう。王家に期待された呪術の根源には「恐ろしい祟り神(鬼)を調伏する力」が横たわっているし、天皇自身も荒々しい鬼(祟る神)そのものだから、恐れられる。日本の「お祭り」の原点と目的は、人びとに災いをもたらす恐ろしい神(疫神や災害などの自然の猛威でもある)を、いかに鎮めるかにあり、だからこそ、王家最大の神事に、「恐ろしい鬼と同等の力をもった童女」が求められた。
そして、ここで強調しておきたいのは、持統天皇が「天照大神(持統)から始まる新たな王家」を創建したことによって、天武から伝わってくる「天皇霊」が、恨む恐ろしい存在に変化していただろうことだ。だから、伊勢神宮や大嘗祭で鎮魂する必要に迫られていたのかもしれない。伊勢神宮の御神体は「お棺」の形をしていて、20年に一度の遷宮祭は喪葬に似ているのだという。伊勢神宮は天武の王家の墓場ではなかったか。伊勢に歴代天皇がほとんど近寄らなかった理由も、これで分かる。
「伊勢神宮の御神体は「お棺」の形をしていて、20年に一度の遷宮祭は喪葬に似ているのだという」。伝聞ということになっているが、やはりこの根拠は?
新暦に従って11月に行っているのでわかりにくくなっているが、大嘗祭の原形となった新嘗祭が冬至というコスモロジカルな危機に対する呪術的=宗教的対応であるということを忘れてはならないだろう。大嘗祭=新嘗祭が対峙しなければならないのは、わざわざ「鬼」を持ち出すまでもなく、宇宙的なエネルギーの枯渇(ケガレ)によるカオスの縁ということになる*6。その意味では、大嘗祭=新嘗祭というのは、日本独特のものではなく、クリスマス、特に聖夜ならぬ性夜ときわめて近い祭りだということになる。
ところで、この関裕二という人も謎に包まれている。Wikipediaには
としか記述されていない*7。ネットでほかを探しても、これ以上の情報は入手できない。小谷野敦氏*8が絡んでいる*9。また、松岡正剛氏*10がかなり肯定的に言及している*11。また、2008年に或る「歴史研究者」の方が『関裕二氏の古代史を検証してみる』という批判的blogを開設しているが、エントリーが2つアップロードされただけで、更新が止まっている*12。
関 裕二(せき ゆうじ、1959年 - )は、歴史評論家。千葉県柏市生まれ。仏教美術に関心をもち、奈良に通ううち、独学で日本古代史を研究、1991年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』でデビュー、以後古代をテーマに執筆活動を続けている。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061020/1161350320 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100111/1263194098 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100910/1284061939 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110617/1308286282 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151129/1448761701 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170808/1502210685 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/14/102607 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/15/232833
*2:?
*3:See eg. https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20060927/1159366397 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100708/1278560692 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/23/103838
*4:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/22/112304 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/02/123209 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/21/012430 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/04/04/061555
*5:See 保立道久「奈良時代的王権論」(徐洪興、小島毅、陶徳民、呉震(主編)『東亜的王権與政治思想――儒学文化研究的回顧與展望』復旦大学出版社、2009、pp.27-36) Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100705/1278351871
*6:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070101/1167668245 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090216/1234758392 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101228/1293511035 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150104/1420390585 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161226/1482717361 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20171228/1514428561
*7:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A3%95%E4%BA%8C
*8:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060411/1144754380 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060921/1158809805 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070517/1179405423 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070628/1182993759 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070702/1183349034 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070704/1183550060 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070706/1183719432 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070902/1188749358 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070906/1189054106 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080820/1219205407 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090402/1238648964 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090707/1246991603 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090723/1248317843 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090801/1249099215 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101110/1289386126 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101113/1289628160 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101119/1290135716 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110208/1297194895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110717/1310872344 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110722/1311272591 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110813/1313203505 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110814/1313292118 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110818/1313686170 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111012/1318437168 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20111219/1324265873 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130925/1380121265 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150104/1420348488 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150713/1436798077 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170517/1494998154
*9:「関裕二氏に答える」http://jun-jun1965.hatenablog.com/entries/2012/01/31
*10:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100114/1263466353 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100526/1274812895 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110802/1312305275 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130402/1364871462 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141019/1413647418 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160326/1458962786 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160520/1463679706 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170130/1485738557 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170426/1493219925 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/06/05/110145