アマテラス/オオゲツヒメ/スサノオ by 四方田犬彦

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060926/1159279010で示唆した太陽/月の対立(ペア)との関わりで。


 四方田犬彦「『古事記』(三)」『図書』683


高天原を追放されたスサノオを歓待し・スサノオに殺されたオオゲツヒメについて;


アマテラスが閉じた女陰をもち、いささかも母性を感じさせない、垂直的な意志に貫かれた女性の原型を提示しているとすれば、このけっして高貴な身分とも思われない女神は、無際限に開かれた身体をもち、鼻や口、または尻から次々と食物を練り出してスサノオを歓待するという点で、対照的な存在である。いや、それどころか彼女は、万物を貪り呑みこむばかりの死の女陰イザナミとも鋭く対立する、五穀の豊饒そのものの化身である。イザナミが体得できずにいる死と再生の弁証法を、オオゲツヒメはフェリー二映画の登場人物よろしく、生来的に体得している。スサノオによって殺害され、切り刻まれたその死体の頭からは蚕が、目からは稲が、耳からは粟が、鼻からは小豆が、性器からは麦が、そして尻からは大豆が生まれるのだ(p.24)。
四方田氏は「オオゲツヒメ」=「アマテラスがみずから無意識界に追いやって抑圧した他我(アルターエゴ)」であるとする。
四方田氏はスサノオ高天原における「勝さび」について、ネリー・ナウマンの考察に従いながら、

スサノオが天井から投げ込んだものが皮を剥いだ馬の死骸ではなく、その剥がされた皮であることに、まずは注目しなければならない。月や蛇が皮を剥いで再生すると考えられたり、獣の顔の皮を仮面として着用する儀礼が存在していたように、古来から剥がされた皮は象徴的な意味で、死と再生の循環に密接な関係があった。話の順序は逆になるが、皮を剥がされ死に瀕していた白兎を、再生を司る男神であるオオクニヌシがみごとに蘇生させてみせる挿話を思い出すと、それがよくわかる。わたしは以前に郷里の出雲の山中で猪の解体に立ち会ったことがあるが、一般的に獣の皮は尻から頭部へと刀を入れて剥いでゆくものだ。「逆剥ぎ」とはあえて逆に頭部から剥いでゆく、不自然きわまりない行為であって、そこで得られた皮は儀礼には使用できない。いや、それどころか、再生の契機を喪失した、否定的な死と闇の意味合いしかもたない不吉な物体として、忌み嫌われる。
高天原にある服屋はただ機織りの工房であるばかりではない。スサノオが狼藉をはたらいた斎服殿とは、日の巫女たちの集う光明に満ちた聖所であって、ここを汚すことは単に清浄な空間に騒乱を持ち込むことではなく、天界の真奥のさらに奥の秩序を宇宙論的に攪乱することに通じる。ナウマンの考えを敷衍してゆくと、斎服殿に死皮をもって乱入することは、巫女たちの女陰に梭を衝き立てて、彼女を死にいたらしめる行為と平行していることが判明する。『古事記』では死亡したのは名もなき「服織女」であるが『日本書紀』ではアマテラス本人が傷ついたと、明確に記されている。宇宙論的な観点に立つならば、おそらく本来は天空を司る女神に災禍が降りかかったと考えるほうが、筋が通っているだろう。この事件から天岩戸の騒動までは、論理的に一直線である。火傷を受けたイザナミの黄泉行がそうであったように、傷ついた女性性器は閉鎖され、死と闇を世界に引寄せるものだからだ。現在のわたしには、この逆剥ぎの馬の皮から女神の引きこもりまでが、主題論的にみごとな系列を構成しているように感じられる。それに比べて、スサノオが田の畦を破壊したり、神殿に排泄物を撒き散らしたといった行為は、物語の均衡のために付加されたものにすぎない。その証拠にアマテラスはそうした弟の悪行にまったく無関心であって、ただ逆皮の一件のみに敏感に反応したのではなかったか(pp.22-23)。
と書く。
四方田氏はテクストの後半では、スサノオの〈精神的末裔たち〉について専ら語っている(p.25ff.)。が、ここでは言及はしない。
スサノオによるアマテラスの性器棄損は結局何をもたらしたかというと、〈天皇制〉をもたらした。アマテラスは天岩戸から復活するわけだが、それは脱ジェンダー化された、或いは「男性化した抽象神」(p.24)としてである。その後もアマテラスの萬古を癒す者はなかった。そのような神として、王権、つまり天皇制を基礎付けることになる。というか、それ以降は高天原自体が物語の後景に退いて、スサノオの子孫たちの物語であるにせよ、アマテラスの子孫たちの物語であるにせよ、物語の舞台は中国*1に移動することになる。
さて、アマテラスには両性具有性がつきまとっている。千葉慶氏のご教示によれば、アマテラスの男性化は、大日如来を本地佛としたことと関係があるということだが、アマテラスの男性性は佛教以前的に天皇が処女を斎宮というかたちでアマテラスに供儀しなければならなかったことにも現れている。これも性器棄損の効果なのだろうか。わからない。

*1:なかつくに。ここではチューゴクとよむな。