「万世一系」の起源(保立道久on奈良時代3)

承前*1

保立道久「奈良時代的王権論」(徐洪興、小島毅、陶徳民、呉震(主編)『東亜的王権與政治思想――儒学文化研究的回顧與展望』*2復旦大学出版社、2009、pp.27-36)


第3節「万世一系與東亜」。
奈良時代は双系制から父系制への過渡期であった。


日本的王権與国家正是在此過程中創造出自我認識與国家意識形態。因此、応該是一個相当複雑的過程。一般強調“万世一系”思想、将它作為奈良時代的王権意識形態。由於在日本、対天皇制的印象最普遍的是従以天智−天武時代、奈良時代為素材而形成的、因此該時代的天皇処於此前較富有神話性、伝説性的天皇平安時代後的天皇相銜接的位置上。(p.34)
奈良時代に「万世一系」思想は存在したか。
保立氏によれば、「万世一系イデオロギーの構成要素は以下の通りである。(1)「王位的神権制継承的永続性」、(2)「男系父子継承的永続性」、(3)「與東亜其他国家相比的日本天皇制的永続性」(ibid.)。少なくとも奈良時代の初期には(1)「王位的神権制継承的永続性」という観念しか存在していなかった。しかし、それも「天皇」=「天神之子」という観念のみである。保立氏は、アマテラス*3を祀る社としての伊勢神宮は天武・持統によって創建され、アマテラスというキャラは持統をモデルにして組み立てられたとする田村圓澄『伊勢神宮の成立』を援用している。(2)「男系父子継承的永続性」に関しては、「事実上在7世紀、8世紀直線式父子継承者、唯有従文武到聖武一次、不可能出現男系之王在系譜上綿延不断這一意識」(pp.34-35)。また、「在東亜其他国家有王朝交替、而在日本没有交替、長久持続」という観念は奈良時代にはまだ形成されていなかった(p.35)。
保立氏は、「万世一系」思想の登場を唐帝国新羅が衰微した9世紀以降であると考える(ibid.)。「万世一系」思想が文献に出てくるのは10世紀後半。『宋史』が伝える宋に渡った日本僧・篙然が日本では「国王一姓伝継」であると述べたのを宋の皇帝が羨ましげに聞いたというエピソード。また、『参天台五台山記』が誌す成尋が宋で日本の王統を神代から数え上げ、日本国王は「皆承神氏」であると述べたエピソード(ibid.)。そこから、「万世一系意識形態大約起初是先対外主張、然後伝回内部、作為表徴国家権威的意識形態固定下来的結構」(ibid.)。
唐帝国の衰微と日本というエトノスの形成については、吉田孝『日本誕生』を取り敢えずマークしておく。
日本の誕生 (岩波新書)

日本の誕生 (岩波新書)