「家族の日」へ?

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/12/1123_c4c3.htmlで知る。以下孫引き;


11月23日は「家族の日」…政府検討
 政府は2007年度から、「家族の日」を制定する方針を決めた。

 安倍首相の重視する家族や地域のきずなの重要性を考えるきっかけにしてもらおうというもの。11(いい)23(ファミリー)の語呂合わせなどから、祝日でもある11月23日を軸に調整している。

 安倍首相は、所信表明演説で「家族の価値を社会全体で共有できるよう意識改革に取り組む」と表明している。「家族の日」制定は、そのための具体策の一つ。首相や有識者による家族をテーマにしたフォーラムの開催や、家族や地域のきずなを深める活動を表彰することなどを検討している。

 また、家族の日の前後に「家族の週間」を設け、期間中は残業などをせずに早く帰宅することなどを、国民や企業に呼びかける方針だ。飲食店や映画館などに賛同を呼びかけ、家族割引などのサービスを実施することも検討する。(2006年12月31日6時37分 読売新聞)

「戦後、働くことをきちんと評価し尊ぶことを価値においたからこそ勤労感謝の日という休日となった」ということなら、メイ・デイを祝日にすればいいのだろう。
そもそも新嘗祭であり、それが宗教色があるということで、勤労感謝の日ということになったわけだが、あまりに抽象的すぎる。せめて、〈お米に感謝する日〉にすべきだっただろう。或いは、太陽暦の11月というのがそもそもまずいだろう。太陰暦だと、冬至に近くなり、宇宙の弱体化に対する宗教的・呪術的働きかけというクリスマスにも通じる本源的な意味が顕在化している筈である。
ところで、「家族の日」といっても、ここで重要視されているのはイデオロギーとしての家族にすぎないような気がする。実は「家族の日」というのはそれぞれの家族にあるのであって、それは制度的な意味での〈結婚記念日〉かも知れないし、或いは初めてセックスした日かも知れないのだ(ジェームズ・ジョイスか)。