「都市伝説」?

碓井真史*1「「江戸しぐさ」はやめましょう。:何が問題か。なぜ広がったか。」http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20150626-00046971/


江戸しぐさ*2への批判的言及。言っていることはまあ(良くも悪くも)常識的。ひとつ違和感を持ったのは、「江戸しぐさ」言説を諸々の「都市伝説」と同列に置いているということ。これは心理学者、特に社会心理学者として如何なものかとは思う。「都市伝説」が匿名的・非人称的な言説であるのに対し、「江戸しぐさ」の場合、著者の存在があからさまであり、それを世に広めようとしている主体も匿名的ではなく、ちょっと調べればその身元は明らかになる。陰謀ではなく陽謀だね。過去についての言説なので、はっきりと偽史とか歴史修正主義といってしまえばいい。同様に、碓井氏が言及している諸々の陰謀理論も「都市伝説」ではなく偽史或いは歴史修正主義である。今思いついたのだけど、陰謀理論の蔓延というのはリテラシーや読書の大衆化と相関性があるのでは? それに対して、「都市伝説」はオーラルなコミュニケーション、パーソナルなコミュニケーション*3と関係がある。尤も、インターネットの発展の中で、この区別が一気に曖昧化してしまったということはあるけど。
ところで、碓井氏は「原田実先生の本によれば、江戸しぐさが最初に世に出たのは、1981年読売新聞の「編集手帳」だそうです」と述べている。そうなんだ。実は1981年以降、私たちは江戸時代に関しては、すごく重要な認識論的転換を経験しているのだ。江戸時代=遅れた暗黒の身分制社会から早すぎたポストモダン世界としての江戸時代([矛盾した表現だが]同時代としての江戸時代)へ。この時代、ポジティヴな江戸時代像を提示した芳賀徹氏や田中優子先生にしても、故杉浦日向子さんにしても、そうした江戸像に批判的だった日本共産党系の学者・論者にしても、或いは小谷野敦氏とかにしても、「江戸しぐさ」云々に言及していたのを見たことはないのだ。さらに、1980年代は鈴木健二がでかい顔をしていた時代だったのだ*4鈴木健二なら「江戸しぐさ」を使ったり・ぱくったりしていもよさそうなものだけど、そういうことはしなかった。「江戸しぐさ」言説が持て囃されるというのはどういうことかといえば、江戸時代に関する過去の言説の厚みが忘却されたということでしょ。
さて、「江戸しぐさ」な人にとって、春画というのはどういう意味を持つのだろうか。永青文庫で日本初の「春画展」が開催されるわけだが*5、それに合わせて是非とも、


江戸しぐさからエロしぐさへ


というシンポジウムを開いてほしいよ。