昨年の11月11日はフョードル・ドストエフスキー*1の生誕100周年だった。佐藤親賢「ドストエフスキー生誕200年のロシア - 続く欧米との相克」*2によれば、ウラディミール・プーチンはモスクワの「ドストエフスキーの家博物館」を訪問し、「ロシアの天才的思想家で愛国者ドストエフスキーの記録保存に尽力したみなさん、ありがとう」と記帳した。佐藤氏によれば、「ドストエフスキーについては、小説家というよりその思想的側面、すなわち西欧的リベラリズムに対抗するスラブ主義、「土壌主義」などと呼ばれるロシア民族主義に共感しているようだ」という。
さて、特に露西亜のウクライナ侵略開始*3以来、右翼的政治思想家としてのドストエフスキーが注目されているようだ。例えば、直立演人氏の連続ツィート;
①「ロシヤ人とスラヴ民族の間に、そもそもいかなる比較があり得るのか?…ロシヤがあらゆる点において、彼らと同等でないのに。」「ロシアによってのみ、またその偉大な中心勢力によってのみスラヴ民族はこの世に生きることができるのである。」(ドストエフスキー『作家の日記』米川正夫訳)
— 直立演人 (@royterek) 2022年3月10日
②「コンスタンチノープルは、われらのものでなければならない。われわれロシア人によって、トルコから戦い取らるべきものであるから、永久にわれらのものでなければならない。それはただわれらにのみ所属すべきものである。」(同上)
— 直立演人 (@royterek) 2022年3月10日
以上は露土戦争の時に文豪ドストエフスキーが『作家の日記』に記した言葉だが、ウクライナに侵攻したプーチンとそのイデローグ達の脳内では、①はそのままで、②は、コンスタンティノープルがキエフに、トルコがウクライナに変換されているだけで、そっくり同じような状態になっているとしか思えない。
— 直立演人 (@royterek) 2022年3月10日
ちなみに、『作家の日記』というのは、ドストエフスキーがプライベートに綴っていた日記などではさらさらなく、ロシア内外の政治や文化に関する論争的な問題について、ますます反動化していった晩年のドストエフスキーがその反動的イデオロギーを全開にして書いたパブリックな論説の集大成なのである。
— 直立演人 (@royterek) 2022年3月10日
その反動性が最も如実に顕れたのが、「ユダヤ人問題」をめぐる有害で悪名高い陰謀論的な論説である。
— 直立演人 (@royterek) 2022年3月10日
Wikipedia*4からドストエフスキーの政治思想についての記述を写しておく。
先ずは「反ユダヤ主義」;
ドストエフスキーは改宗ユダヤ人のブラフマンによる反ユダヤ主義の書物『カハルの書』(1869年)から影響を受けた。1873年以降はユダヤ人への攻撃が激しくなり、ドストエフスキーは死去するまで反ユダヤ主義的な発言を繰り返した。
1873年にドストエフスキーは、ロシア民衆が飲酒で堕落したままであれば、「ユダヤ人たちは民衆の血をすすり、民衆の堕落と屈辱を自分たちの糧とするであろう」とし、農村はユダヤ人に隷属させられた乞食の群れとなると警告した。
1876年にはユダヤ財界人が自分たちの利益のために農奴制の復活をもくろんでいるとし、ユダヤ人がロシアの土地を購入すると元利を戻そうとしてたちまち土地の資源が枯渇されるということに異議を唱えればユダヤ人は市民同権の侵害だと騒ぐだろうが、それはタルムード的な国家内国家の重視であり、「土地だけでなくやがては百姓も消耗させられてしまうとしたら同権も何もあったものではない」と反論した。他方のロシア国民は「最近の、いまわしい堕落、物質主義、ユダヤ気質、安酒にひたるという生活にもかかわらず」正教の大義を忘れなかったと称賛した。
同年10月には、ロシアの民衆の間では無秩序、不身持ち、安酒、機能不全の自治制度、農村を食い物にする高利貸し、そしてジュー(ユダヤ人)が君臨しており、「金があれば何でも買える」という歪んだ不自然な世界観の持ち主である商人長者は儲けになればユダヤ人とも結んで誰でも裏切り、愛国心がなく、教育啓蒙で武装しているロシアの知識人は「汚らわしい取引所的堕落の時代」における物質主義の怪物を撃退できるが、民衆は「すでにユダヤ人に食い入られた」と診断した。
1876年12月にはロシア知識人には「ユダヤ化した人々」がいて、経済面からのみ戦争の害を言い立て、銀行の破産や商業の停滞で人を脅迫し、トルコに対してロシアは軍事的に無力であるなどと主張するが、彼らは当面する問題の理解が欠けていると批判した。
上の直立演人氏のツィートに関連する露土戦争の時期;
1877年3月、ドストエフスキーは、無神論者のユダヤ人からの抗議への反論『ユダヤ人問題』を発表した。「高級なユダヤ人」に属する抗議者は無神論者というが、エホバを放棄するとは罪深く、「神のいないユダヤ人など想像もできない」し、自分はユダヤ人を民族として憎悪したことはない、また自分がユダヤ人を「ジート(ジュー)」と呼ぶことは侮辱ではなく一定の観念であり、言葉に腹を立てるのはよくないとした。また、自分はこれほどの攻撃を招くような反ユダヤ的論文は書いていないし、この抗議者はロシア国民に対して傲慢であり、この告発における激昂こそユダヤ人のロシア人観を鮮やかに物語ると反論した。
そもそもユダヤ人とロシア人が離反している要因は双方に責任があるし、ユダヤ人のように「これほど絶え間なく、歩けば歩いたで、口を開けば開いたで、自分の運命を訴え、自分の屈辱を、自分の苦悩を、自分の受難を嘆いている民族は、世界中を探しても確かに他にはいない」とした。
ユダヤ人は「虐げられ、苦しめられ、侮辱されている」というが信用できないし、ロシアの庶民はユダヤ人以上の重荷を背負っている。それどころか、農奴制から解放されたロシアの庶民に対して「昔からの金貸しの業で」「獲物にとびかかるようにして、真っ先に彼らにとびついたのは誰であったか」、ユダヤ人は「ロシアの力が枯渇しようが知ったことではなく、したいだけのことはやってのけて、いなくなってしまった」と述べた。
ユダヤ人がこれを読むと、中傷・嘘だと主張するだろうが、アメリカ合衆国南部でもユダヤ人は解放された黒人に襲いかかり、金貸し業で彼らを掌握したのだと述べた。
また、ユダヤ人は国家内国家(Status in statu)を長い歴史のなかで守ってきたとして、その理念の本質を「諸民族より出でて、自らの個体を作るがよい。今日からはお前は神のもとに一人であるとわきまえて、他の者たちは根絶やしにするもよし、奴隷にするもよし、搾り取るのも自由である。全世界に対する勝利を信ぜよ。すべてがお前にひざまずくものと信ぜよ。すべてを厳格に嫌悪し、生活においては何びととも交わってはならぬ。たとえ自らの土地を失い、政治的個性を失い、あらゆる民族の間に離散するようなことがあろうとも、変わらず、お前に約束されたすべてのものを、永久に信ぜよ。すべては実現されるものと信ぜよ。しばらくは生き、嫌悪し、団結し、搾取し、待つがよい」と描写した。
こうしてドストエフスキーは、ロシア人はユダヤ人への怨恨などは持っていないが、無慈悲で非礼なユダヤ人はロシア人を軽蔑し、憎んでおり、ユダヤ人はヨーロッパの取引市場や金融界に君臨し、国際政治、内政、道徳までも自由に操作し、「ユダヤ人の完全な王国が近づきつつある」とし、ユダヤ教は全世界を掌握しようとしているというユダヤ陰謀論を展開した。
独逸の反ユダヤ主義やナチズムへの影響;
ドストエフスキーは、オスマン帝国との露土戦争について、ロシアを中心とするスラブ人の統一と正教徒の統合を説き、この戦争より神聖かつ清浄な功業はないと訴えていた。1876年7-8月には、ロシアがクリミアを獲得しなければユダヤ人が殺到してしまうとドストエフスキーは危惧した。
1877年4月には、ヨーロッパで2世紀もロシアを憎んでいる「何千何万のヨーロッパのジューと、その連中と一緒にユダヤ化している何百万のキリスト教徒」はロシアの宿敵であるとした。
1877年にはオスマン帝国のコンスタンティノープルを征服してキリスト教の教会を解放するために十字軍を派遣すべきであるとし、露土戦争の開戦直前の3月にはコンスタンティノープルはロシアのものになるべきだと主張した。
1877年9月、露土戦争についてドストエフスキーは、ロシアがスラブ的理念を放棄して、東方キリスト教徒の運命の課題を解決せずに投げ出すことは、ロシアを粉々に解体して絶滅させることだと論じ、ロシア国民は「ユダヤ人や相場師たちの手中にあって、 ガルヴァーニ電気を通じてぴくぴく動くような死骸ではなく、自分の自然の使命を遂行しつつ、真の生きた生活を生きる国民でなければならない」とした。
もしロシアがこの戦争を始めなかったならば、自分で自分を軽蔑するようになったことだろうとして戦争を支持した。同年11月には、コンスタンティノープルをトルコ人放逐後に自由都市にしてしまうと、「全世界の陰謀者の隠れ家となり、ユダヤ人や投機人のえじきとなる」というスラブ主義者ダニレフスキーの見解を卓越した正しい推論と称賛した。
ドストエフスキー思想の独逸反ユダヤ主義への影響に関しては、小岸昭『世俗宗教としてのナチズム』*5をマークしておく。Wikipediaに戻って、「アーリア主義」;
ドストエフスキーの反ユダヤ主義とアーリア主義は信奉者に影響を与えた。ポリーナ・スースロワの夫ヴァシリー・ローザノフはドストエフスキーを尊敬し、アーリア人の威光とユダヤ人の血の欲望について論じた。ドストエフスキーは聖ロシアを第三帝国としなければならないと論じたが、ドストエフスキーの思想は、『第三帝国』を著したドイツの思想家メラー・ファン・デン・ブルックやヨーゼフ・ゲッベルスなど20世紀初頭のドイツ右翼知識人に多大な影響を与えた。
ドストエフスキー研究者だったメラー・ファン・デン・ブルックはドストエフスキー全集を監修し、第一次世界大戦敗戦後のドイツ人に衝撃的な影響を与えた。
アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権で国民啓蒙・宣伝大臣を務めたゲッベルスは若い頃よりドストエフスキーの影響を深く受けており、ゲッベルスによればドストエフスキーは「西欧に対する憎悪が彼の魂を焼き尽くしてしまうがゆえに書く」のであり、「我々は彼の後についていく」とドストエフスキーの弟子を自認した。
1880年8月にドストエフスキーはスラヴ主義や西欧主義は間違っていると批判し、「偉大なるアーリア人種に属するすべての民族を全人類的に再結合する」ことはロシア人の使命であり、「すべての民族をキリストの福音による掟に従って完全に兄弟として和合させ、偉大なる全体的調和をもたらす」と主張した。ドストエフスキーはアジア主義も訴え、「ロシア人は単なるヨーロッパ人のみでなく、同時にアジア人でもある。未来において、アジアはわが国の救いであり、そこにわれわれの富が蔵せられ、そこにわれわれの大洋があるのだ」と主張している。
幸脇啓子「ドストエフスキー生誕200年:日本人の受容の歴史と今 読むべき理由」https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02019/
プーチンはフョードル・カラマーゾフだ、と言えるか?
フェイクニュースと言えば、ドナルド・トランプ前米国大統領の顔も浮かびます。王や権力者の名を騙(かた)る、というのは、きわめてロシア的な現象です。ドストエフスキーの作品にはうそつきやほら吹きがよく出てくるので、トランプ氏を見た時は、真っ先に「これは、『カラマーゾフの兄弟』の世界だ、ドストエフスキーが描いたフョードル・カラマーゾフだ」と思ったくらいです。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061226/1167151875 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080706/1215286712 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081120/1227144257 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081124/1227458917 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20090621/1245586039 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100712/1278948575 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100722/1279817241 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100831/1283190227 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20101127/1290832882 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110217/1297882488 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20120205/1328463688 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160318/1458227299 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160429/1461900469 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161014/1476404798 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170307/1488853441 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180605/1528212943 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180613/1528856643 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180623/1529716554 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/18/021720 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/11/23/094828 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/09/16/084132 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/07/16/160441
*2:『世界』2022年2月号。但し、https://nessko.hatenadiary.jp/entry/2022/03/01/201608からの孫引き。
*3:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/02/24/211721
*4:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
*5:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110518/1305646372
*6:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081120/1227144257 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20081124/1227458917 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100524/1274722382 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100831/1283190227 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160517/1463502466