露西亜から群馬へ

亀山郁夫*1「耳の実力」(in 『わたしと「名著」』NHK出版、pp.22-23)


曰く、


(前略)ドストエフスキーの『罪と罰*2と『カラマーゾフの兄弟*3。十九世紀のロシアで書かれたこの二作が、私の読書人生のアルファにしてオメガである。そこで改めて自問してみる。二十一世紀の今を生きる私にとって、「名著」に値する小説とは何か、と。まばゆい後光に包まれた文豪たちの名がたちどころに思い浮かぶが、私はさほど迷うことなく宮部みゆき模倣犯』を挙げるだろう。9・11事件が起こった二〇〇一年の刊行。意外なセレクト、奇を衒いすぎ、と驚きの声が聞こえてくることも覚悟のうえでの選択である。『模倣犯』にはたしかに、伝統的な小説作法を突き崩す何かがある。スティーヴン・キング譲りの多視点の方法がすばらしく魅力的に感じられた。また、ドストエフスキーばりともいえる「多声性」の原理が縦横を貫いていることにも驚かされた。しかし、最大の魅力は、何といっても主題のリアルさ。そう、すべてが驚くほど生々しいのだ。読後、私をとっさに襲った感慨が、「久しぶり」だった。いや、「久しぶり」どころではない。今から六十年馬、十五歳の私を襲った『罪と罰』の世界とのシンクロが甦ったのだ。では、なぜそれほどにも強烈な「同一化」が、老いた心に可能になったのか。どうやらその秘密は、audible(本を音声で読み上げるwebサービス「オーディオブック」の一つ)による耳読書という、古くて新しい読書スタイルにあるらしいことがわかった。総計七十五時間、怒濤のごとき語りに、洗脳された。予感するが、audibleの威力はいずれ、読書スタイルの革命的な先祖帰りを実現し、「名著」と名づけられるにふさわしい「古き」小説たちの復活を促すことになるだろう。少なくとも今私のなかで、群馬県山中の巨大なごみ集積場で死を遂げた『模倣犯』の若い犠牲者の姿が、『罪と罰』の金貸し老女に優るとも劣らない凄絶な印象を輝かせ続けている。(pp.22-23)