「努力」

日本滞在中に、岩波文庫編集部編『読書のすすめ 第14集』(岩波書店、2010[非売品])を手に入れたのだった*1


岩波文庫で学んだ博物学荒俣宏
文庫と私――子どもの頃、そして今――(江川紹子
理由は聞くな、本を読め(鹿島茂
人生が本のようであるうちに――読書をめぐる青春と老境のダイアログ――(亀山郁夫
「努力」の根っこ(ロバート・キャンベル
在ることのように長く短い(津村記久子
「歌の話」、進学のことなど(藤井貞和
余と到――読書をめぐる三と四――(山室信一


あとがき

まあ、江川紹子*2亀山郁夫*3以外のテクストは面白かった。偶然かも知れないが、私がつまらないと思った2本のテクストとも太宰治に言及している。いちばん面白かったのは鹿島茂のテクストなのだが、それについては後日書くとして、ロバート・キャンベル「「努力」の根っこ」からパラグラフを1つメモ。幸田露伴の『努力論』に触れて曰く、

「努力」という言葉は、今のように日常的に使われるようになったのはせいぜい明治以降のことであり、明治一四年(一八八一)に出版された『哲学字彙』ではEffortの訳語として登場する。江戸期の人ならば「精出す」とか「勉強する」の方が自然だったと思うが、いずれにせよ、明治を生きた露伴も彼らと同じ流れ、江戸から脈々と受け継がれた問いかけ――人間はどうして、何を目標にたえず努力するようにできているのか――に深い関心を持っていたように見受けられる。実は「努力」をめぐる啓蒙的な論説は、江戸時代にもいっぱいあったのだ。(pp.43-44)
この後、江戸時代と明治時代の「教訓」本が取り上げられていて興味深いのだが、これについては後日。
さて、山室信一のテクストには、「一日不読書 口中生荊棘」という安重根*4という言が引用されている(p.67)。これは是非とも座右の銘としたい。