原ひろ子

朝日新聞』の記事;


原ひろ子さん死去
2019年10月10日05時00分


 原ひろ子さん(はら・ひろこ=お茶の水女子大名誉教授)*17日、老衰で死去、85歳。通夜は13日午後6時、葬儀は14日午前10時から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は長男裕(ゆたか)さん。

 文化人類学ジェンダーが専門で、お茶の水女子大のジェンダー研究センター長などを歴任した。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14212851.html

一橋大学ジェンダー社会科学研究センターのサイトに詳しいプロフィールが掲載されている;

原ひろ子(はら・ひろこ)は1934年、日本統治下の京城(現ソウル)生まれ。
 1953年に東京大学文科Ⅱ類へ入学、’55年に教養学部に新設された文化人類学専攻へ進学。’57年に同大学大学院生物系研究科修士課程人類学専門課程へ入学。マーガレット・ミードが来日した際には大学院生として日本の農村における子育てについてのフィールドワークを手伝った。’59年同博士課程人類学専門課程に進学。フルブライト奨学金を得てピッツバーグ大学大学院に入学。’60年ブリンマー大学大学院人類学科に転学。’61年よりカナダ極北のヘヤー・インディアンの調査研究を開始し、’64年に博士号を取得した。
 原はミシガン州立大学人類学科客員研究員、拓殖大学講師・助教授、ブリンマー大学客員講師、法政大学助教授等を経て、1979年にお茶の水女子大学助教授として着任。’84年教授となり、以後、2000年に定年退職するまで同大学で教鞭を執った。お茶の水女子大学は女性学・ジェンダー研究分野で日本トップクラスの研究・教育機関であるが、現ジェンダー研究所(IGS)の前身である女性文化研究センター、ジェンダー研究センターでの教育を通じて薫陶を受けた学生は多く、優れた研究者を数多く輩出してきた。
 1977年の国際女性学会(現国際ジェンダー学会)の立ち上げにも尽力し、’90年には日本民族学会(現日本文化人類学会)で初の女性会長を務めるなど多様な場面で研究活動を展開。日本学術会議をはじめとする学術諸機関、国や地方自治体の各種委員、国連国際会議の顧問等を歴任してきた。 著書・編著をはじめ業績は多数あるが、博士論文をもとに刊行した『ヘヤー・インディアンとその世界』(平凡社、1989年)は新潮学芸賞を、国際女性学会の分科会メンバーとともに編集した『中小企業の女性たち――経営参画者と管理職者の事例研究』(未來社、1987年)は中小企業研究奨励賞本賞を受賞している。

(執筆担当:佐藤文香・伊藤るり)
http://gender.soc.hit-u.ac.jp/sentanken14/inheritingGS_hara.html

原先生のご研究や著作に親しんでいるとはいえないけれど、その『極北のインディアン』と『子どもの文化人類学』は私の思考にかなり深刻な影響を及ぼしている(自称)。
極北のインディアン (中公文庫)

極北のインディアン (中公文庫)

子どもの文化人類学

子どもの文化人類学

『あなたの人生の物語』など

最近買った本。

Ted Chiang『あなたの人生の物語』(浅倉久志ほか訳)ハヤカワSF文庫、2003

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

村田沙耶香『星が吸う水』講談社文庫、2013
星が吸う水 (講談社文庫)

星が吸う水 (講談社文庫)

稲垣良典『神とは何か 哲学としてのキリスト教講談社現代新書、2019佐藤信弥『周――理想化された古代王朝』中公新書、2016

「哲学者」と「貧乏」(養老孟司)

養老孟司*1「人間の「意識」や「自己」を問う明るい哲学」『毎日新聞』2019年10月13日


マルクス・ガブリエル『「私」は脳ではない』の書評。


若い頃、哲学者とは何だろうかと思ったことがある。結論は簡単で、何も持っていない人だ、というものだった。医者なら聴診器からCTのデータまで持っている。科学者には実験室があり、技術者はさまざまな機械に触れている。でも哲学者は鉛筆かパソコンくらいは持っているだろうが、あとは日常生活以外の何物も持たず、その意味では徹底的に貧乏というしかない*2。その貧乏人が世界を語ると、世界は存在しなくなるというのは*3、なんとなくつじつまが合っている。著者がいう世界とは、それを考えているあなたの考えまで含んだ、全宇宙のことである。そういうものを考えると、論理的に矛盾が生じる。だからそういうものはない。

夕方

承前*1

10月11日夕方6時半頃の、千葉県習志野市の某スーパーマーケット。この時点では、麺麭、インスタント・ラーメン、ミネラル・ウォーターはほぼ全滅。





そうだ、京都へ行こう?

ここ数日、熱湯浴どもの間では「八つ橋」がブーム。前原誠司*1も京都生まれだから、嫌いなわけはないだろうけど。そのうち、横溝精子もとい横溝正史の探偵小説《八つ橋村》が発見されるかも知れない。
ところで、最初yatsuhashiと入力したら、「奴は死」と変換されてしまった。

西岡善信

朝日新聞』の記事;


映画美術監督西岡善信さん死去 「地獄門」「利休」
2019年10月12日03時52分


 映画「地獄門」「利休」などの美術監督として知られる西岡善信(にしおか・よしのぶ)さん*1が11日午後7時22分、老衰で死去した。97歳だった。

 奈良県生まれ。法政大学文学部在学中に学徒出陣し、朝鮮半島終戦を迎え、旧ソ連に2年間抑留された。収容所で知り合った監督のつてで、復員後に大映京都撮影所美術部に入社。1954年のカンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー賞名誉賞を受賞した衣笠貞之助監督の「地獄門」*2など、時代劇の細かい手仕事に定評があった。

 大映倒産後の72年に映像京都を設立し、代表取締役に就任した。勅使河原宏監督「利休」(89年)で日本アカデミー賞の最優秀美術賞などを受けた。後進の育成にも力を入れ、KYOTO映画塾の塾長も務めた。
https://www.asahi.com/articles/ASMBC7VLZMBCPTFC00P.html

高林陽一の『金閣寺*3美術監督もしているのか。
金閣寺 [DVD]

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「貨幣」と「商品」(メモ)

松原隆一郎*1「「租税が貨幣を動かす」という主張」『毎日新聞』2019年10月13日


L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』の書評。


(前略)[MMTによれば]貨幣とは主権を持つ国家が決めた計算単位にすぎず、商品や金ではない。また国民には、その通貨によって納税義務が課される。ここで政府が先に民間から何かを購入すると、民間はその貨幣を受け容れ、流通させるという。それは何故かというと、政府が租税支払いの際にこの紙幣を受け取ると約束しているからだ、というのだ。著者はこれを、「租税が貨幣を動かす」と表現する。
貨幣経済はこの順で動いているのだから、まず民間から租税を集めて予算とし、その範囲内で財政支出をしなければならないとか、予算を超える赤字財政はインフレをもたらすという通説は、逆立ちした妄想でしかないことになる。

一般的なマクロ経済学とは正反対の結論を持つこの主張をどう評価すべきかだが、評者はほぼ同意している。ただなぜ財政支出から出発するのかについては、説明の力点が異なる。モノで租税を受け容れた(例。米を年貢とした)中世から脱し、貨幣で売買が行われる現代では、貨幣で商品は必ず買えるが、商品が売れて貨幣が得られるか否かは不確実である。そこで(日銀がいくら金融緩和しても)貨幣を貯め込むだけで商品を買わないと、不況が定着してしまう。ここで政府には、率先して貨幣で財政支出し、国民に租税としてその貨幣を還流させて、強制的な貨幣循環を生み出す責務がある。著者が言う「租税が貨幣を動かす」とはそのことだ。