中野幹隆

既に時間は経ってしまったが。http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070115/p1にて知る。但し、リンクされていた『朝日』の記事は情報少なすぎ。


哲学書房社主、中野幹隆さん(1943-2007)の軌跡

「[本]のメルマガ」07年1月25日号に寄せた拙文を以下に転載します。

哲学書房社主の中野幹隆さんが癌で14日に死去、享年63歳。

哲学書房社主の中野幹隆(なかの・みきたか)さんが1月14日、右腎盂尿管癌で逝去されました。享年63歳でした。16日、17日に営まれた葬儀では、東京女子大学教授の黒崎政男さんが葬儀委員長をつとめ、坂部恵小林康夫養老孟司の各氏から弔辞が寄せられました。

1943年生まれの中野さんは「日本読書新聞」編集長をつとめられたのち、竹内書店に移って季刊誌「パイデイア」の編集を手がけられました。なかでも1972年春の11号はミシェル・フーコーを特集し、フーコー自身からの寄稿が話題を呼びました。その後、青土社で月刊誌「現代思想」を創刊、さらに朝日出版社では月刊誌「エピステーメー」を創刊。ドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」が翻訳出版されたのは、「エピステーメー」の臨時増刊号(1977年10月)としてでした。

朝日出版社の雑誌ではこのほかに「エピステーメーII」や「モノンクル」などを手がけ、書籍では「エピステーメー選書」「エピステーメー叢書」「ポストモダン叢書」「リゾーム群書」「シリーズ・思考の響応」「講座・思考の関数」「レクチュア・ブックス」」「週刊本」「科学の名著」等々、数々の名シリーズをつくられました。

80年代の現代思想ブームに先んじた功績というよりも、それらの多様な背景をもを包み込む人文知と科学知の諸領域を横断した、先端的な「編集帯域」の創造に掛かる継続的業績のほうが、はるかに大きいと言えるかもしれません。

1986年に哲学書房を立ち上げ、蓮実重彦さんの初の小説作品『陥没地帯』を処女出版。その後、季刊誌として「哲学」や「ビオス」を創刊し、中世哲学の再評価や、生命哲学の分野で常に新しい出版の試みをつづけられました。昨年までの書籍刊行点数は百点以上になります。90年代後半にはセーマ出版も並行して運営され、季刊誌「セーマ」の編集人もつとめられました。同時代を生きる者にとって、中野さんの早すぎる逝去は大きな損失と言わざるをえません。心からご冥福をお祈りいたします。(五月)


哲学書房公式ウェブサイト http://www.tetsugakushobo.com/
http://urag.exblog.jp/5035814 

上で言及されている『モノンクル』は伊丹十三責任編集だったか。1970年代末から80年代初頭にかけて、伊丹十三岸田秀との対談本を朝日出版社から出しており、精神分析に傾倒していた。『モノンクル』の何号目かは〈佐川一政巴里人肉事件〉の特集だったと思う。その資料的価値は今でも高いんじゃないか。その中の座談会かなんかでの佐々木孝次栗本慎一郎との激論が今でも印象に残っている。それから、たしか創刊号だったと思うが、書いた人の名も忘れてしまったが、オナニーは異性愛か同性愛かというエッセイがあったことを記憶している。