神仏移動

『朝日』(栃木版)の記事;


30神仏 集団移転/湯西川ダム建設巡り

2010年05月24日


 2011年度内の供用をめざして建設の進む湯西川ダムにより、水没や移転を余儀なくされた日光市湯西川地区の四つの神社や山の神様など、地域の信仰対象だった合計30の神や仏が同地区西川の地に「集団移転」した。地区周辺を散策するコースも整備され、案内板や散策マップができあがった。多くの神仏が1カ所に整然と集った光景は、里の歴史を雄弁に物語る。25日には散策コースをたどり、ガイド付き(無料)のハイキングが行われる。23日、ダム工事現場では、定礎式が行われた。(服部肇)

 西川の地に集められた30神仏は、湯西川地区上野から一ツ石集落までの約7キロにあった。神社では、水没する一ツ石と赤石集落から高房神社と八幡大神が移り、西川集落からは春日神社と太神宮が新しい県道敷設のため移設された。このほか、上野集落の11地蔵と西川集落の9地蔵、三つの沢にあった山の神様、馬の守護神「勝善神」二つ、不動様が一堂に集まった。

 ダム工事着手以前は、上野から一ツ石にかけて約50世帯が居住していたが、そのうち20世帯が西川に移住した。それを機に、身近に信仰してきた神社などの移設先が検討され、新居住地の近くに落ち着いた。今春までに移設が終了、地元では「西川神社群」と名付けている。小高い丘に移された社の群れは、多くが屋根をかけられ、荘厳な景観をみせている。

 この景観を地域おこしに役立てようと、湯西川温泉流域活性化センター長の安西裕さん(56)が散策コースやマップを作った。集落のお年寄りから神社や地蔵の由来を聴き取るなどして調査を進め、成果を神仏ごとに設置した案内板に書き込んだ。案内板にはQRコードも付いており、携帯電話で読み取って詳細な説明を知ることができる。

 「実際に歩くことで、里が直面してきた歴史を肌で感じて欲しい。それが里のことを長く語り継いでいくことにつながる」と安西さんは話す。

 A3版二つ折りの散策マップは安西さんの手作り。散策コースの起点となる「道の駅・湯西川」(日光市西川)に置いた。散策コースは(1)移転神社を巡る「西川上野神社コース」(往復1キロ、約30分)(2)「五十里(いかり)湖畔散策コース」(周回約5キロ、約1時間50分)(3)「葛老山(かつ・ろう・やま)遊歩道コース」(往復約5・6キロ、約3時間)の三つがある。
(後略)
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001005230001

昨年は「八ッ場ダム*1の影に隠れていた感もあったが、「湯西川ダム」といえば以前反対運動があり、建設中止を求める訴訟もあった筈。昨年12月には民主党栃木県連が「中止」を求めた筈。以下の『下野新聞』の記事によると、事業継続が中止かは「本体工事に着工しているかどうか」が基準であるらしいので、「本体工事」に入っている*2湯西川ダム」はそのままGo! ということになったのか。また、地元住民の推進派・反対派の色分けもアイロニカルであり、興味深い。

湯西川ダム「全面見直し」南摩は「中止」 民主県連きょうにも党本部に報告
(2009年12月8日 05:00)

 民主党県連は谷博之代表、福田昭夫代表代行が7日夜に記者会見し、鹿沼市の思川開発(南摩ダム)の中止、日光市湯西川ダムの中止を含めた事業の全面的見直しを求める、と発表した。本県が関係する群馬県の八ツ場ダム、茨城県霞ケ浦導水も中止を求めるとした。きょう8日にも党本部に県連としての判断を伝える。同日の同県連常任幹事会で決定した。

 4事業は前原誠司国土交通相が見直しを掲げた全国の143事業に含まれており、南摩ダムは本体工事に入る手前の段階で一時凍結。本体工事に着工している湯西川ダムは計画通り進められている。

 事業継続か否かの判断基準に、前原氏は本体工事に着工しているかどうかを挙げていた。個別のダムについては、年内にも公表される新年度予算の政府原案で示される予定。

 4事業のうち湯西川ダムは、政権交代と前後して地元の湯西川温泉街の一部から「観光資源の清流を残してほしい」などとしてダム建設に反対する意見が表面化し、焦点となっていた。日光市を通じて地元の意見を集約した結果、地元の3地区のうち水没予定の2地区は建設推進、水没を免れる温泉街地区は住民の賛否が割れた。

 これを受け日光市は「ダム事業推進」を要望していたが、県連は少数意見に配慮する形を選択。会見で福田氏は見直しの幅について「事業規模の縮小もあり得る」としている。

 湯西川、南摩両ダムとも利水事業で県内外に多くの参画自治体を抱えている。また国交省はこれまでに両ダムによる治水効果を主張してきた。これに対し県連は、水需要の減少などを理由に否定的な見方を示した。

 県連は両ダム工事現場の視察や地元の意見聴取などを通して慎重に議論を重ねていたが、本体未着工の南摩ダムについては「南摩川は余りにも水量が乏しい。鹿沼市もダムの水は使わない」などとして、早い段階で中止の意向を固めていた。

 谷、福田の両氏は、両ダムの地域振興策について「付け替え道路や水没者の生活再建策は、党としてしっかり取り組む」と述べた。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20091207/249772