Biological diversity, again

最近、拙blogで「特定外来生物」についてメモした*1。他方、フレッド・ピアス『外来種は本当に悪者か?』という本が最近上梓されたようで、(例えば〉『毎日新聞』には養老孟司*2が肯定的な書評を書いている*3。まあ養老節は読んでいて愉しいということはあるのだが、批判的な書評を書いている方もいた;


「書評」http://d.hatena.ne.jp/OIKAWAMARU/20160919/p1


私自身が『外来種は本当に悪者か?』を読んでいないので、書評評をすることは不可能であるので、「生物多様性」の意味について再確認をするということにとどめたい。曰く、


ただ、この本のテーマはタイトルから見えてくるように「外来種は悪か?善か?」であり、「外来種は悪ではない、善だ!」と言う持論を普及したくて執筆したのでしょうが、そもそも農業用作物の多くは外来種(イネもジャガイモももう色々)ですし、世間的に問題にしている外来種というのは「侵略的なごく一部の外来種」だけであって、21世紀の現在、まっとうな科学者は誰も「外来種がすべて悪だ!滅ぼせ!」なんてこと言っていません(アライグマに農作物を食い荒らされた農家の方や、セアカゴケグモに噛まれた人は、「悪だ!」と思っているでしょうけど)。

とりあえず外来種に関して言えば、問題となっているのは「侵略的な外来種」であり、それらが生態系に悪影響を及ぼし、生物多様性を低下させることについてはいくつもの研究例があります。そして、生物多様性保全することは、人類にとって色々な利益をもたらすことも明らかになっています(例えばここ*4 )。すなわち、まず何より重要な前提条件は、外来種対策は「主に生物多様性保全のために行っている(人的被害や農林水産業被害対策の一面もあります)」ということで、生物多様性保全は「人類が人類のために」していることだということです。結果的になっていたとしても、「自然のため」とか「地球のため」にやっているわけではありません。でなければ条約になったり法律になったりするわけがありません。現在の人類はそんな崇高(?)ではありません。

外来種問題を政治的信条の問題に結びつけたり、あるいは人種差別問題に結びつけたりする愚か者は多いのですが、そもそもは非常に単純な問題です。それは、生物多様性保全は人類にとって様々な利益を生む、一方で外来種も利益を生むことがある、その前提の中で、生物多様性を損なう「侵略的な外来種」についてはできる限りの対策をとり、生物多様性から「得られる利益を最大化しよう」、というそれが根幹です。結果的に生態系は保全され、在来種の多くは絶滅を回避できるでしょう。でも、自然のためだとか、生き物のためだとかが本質ではないのです。それはこれがそもそも、人類が人類のために進めている社会的な課題だからです。

生物多様性」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090803/1249309044も見られたい。