「女性学」と「主婦」(メモ)

女と男のかんけい学

女と男のかんけい学

再度、上野千鶴子「女性学とは何か」(in 山村嘉己、大越愛子編『女と男のかんけい学』明石書店、1986、pp.1-23)*1からのメモ。


日本で初めて「女性学」の名がついた書物が刊行されたのは一九七九年、岩男寿美子さんと原ひろ子さんの編による『女性学ことばじめ』(講談社)である。一巻の柱になっているのは、七八年に国立婦人教育会館で開催された国際女性学会東京会議での瀬川清子さんの特別講演の記録「日本女性の百年――主婦の呼称をめぐって」というものである。編者の一人、原ひろ子さん自身も「主婦研究のすすめ」という一章を書いている。
国際女性学会東京会議の記録は、その後一九八〇年に『現代日本の主婦』(NHKブックス)という書物になって刊行された。ここでも、主婦研究はメインテーマになっている。
つづいて一九八二年に、私自身の編になる『主婦論争を読む・全資料』I・II巻(勁草書房)が刊行され、主婦研究に一層の勢いをつける役割を果たした。その後、第三次主婦論争の立役者の一人でもあった武田京子さんたちによる『講座・主婦』全三巻(汐文社、一九八三年)も刊行された。その後、家事労働をめぐって私の『資本制と家事労働』(海鳴社、一九八五年)が刊行されるに及んで、この小著はさまざまな学習会で読みつがれて静かに版を重ねている。(p.18)
資本制と家事労働

資本制と家事労働


主婦研究は、女性についての研究を「婦人問題」から「女性学」へと転換した。それまでの「婦人問題」は、文字どおり「婦人が抱える問題」もしくは「問題を抱えた婦人」を対象にしてきた。それは婦人相談所を訪れる「問題婦人」であったり、離婚、死別、売春、貧困などの、女性が固有に抱える悲惨が問題の中心だった。つまりそれら「あたりまえ」の規範から逸脱した事例は、社会問題として目に見えやすかったのである。さもなければ、女性差別の問題は勤労婦人の抱える問題に集中していた。彼女たちの劣悪な労働条件や健康状態、男女賃金格差や昇進差別なども、労働統計等の中で、目に見えるものとして提示されていた。
だが、主婦研究は、視線を転じて「あたりまえ」の「幸福」を選びとったとされるマジョリティの女性に向かう。どんな統計にも浮かび上がってこない、個別の家庭の妻たちの生活を、女性学は、この「あたりまえ」の暮らしはほんとうに「あたりまえ」か、と問うたのである。
「婦人問題」という言葉には、「男性問題」という対語が成り立たない。この表現には、問題があるのは女性だけ、というニュアンスが含まれる。女性学の研究者は、だから「婦人問題」という用語を避けて「女性問題」という表現を選ぶ。だが、この言葉も実は正確ではない。「女性問題」という言葉には「女性が問題だ」という含意がある。「女性問題」は、また男女関係のトラブルを指す言葉としても使われるが、その際には「女性が原因でひき起こしたゴタゴタ」を意味する。女性学が主婦研究を通して問うたのは、「女性が問題」なのではなく、女を問題視するような「社会が問題だ」という視点の転換だったのである。「婦人問題論」は、いわば女性についての病理学だったが、女性学は女性についての生態学をめざす*2。女の「常態」の研究を通じて、「あたりまえ」と思われてきた主婦の暮らしのかかえる問題が、いっきょに噴き出してくる。「正常」と思われてたものの「異常さ」があらわにされ、相対化される。主婦研究は、「主婦という暗黒大陸」をただ地図に書き加えたわけではない。この暗黒大陸の発見によって、世の中の地図の全体が、描き変えられたのである。そしてこの研究は「主婦」と「主婦」を「あたりまえ」とする社会のしくみの全体を変えずにはいない。パラダイムの転換とは、このような実践を言う。(pp.19-20)
なお、1980年に、井上輝子『女性学とその周辺 』(勁草書房)が刊行されている。
女性学とその周辺

女性学とその周辺

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131221/1387632716

*2:通常の用法では、「病理学」と対立するのは「生態学」ではなくて生理学だが。