「阪急モデル」?

張江さんが「高度経済成長期という画期」云々ということを語っている*1
ところで、『塾講師のつぶやき』で、「昭和30年代乃至40年代がもたらす郷愁」について、鍋倉紀子という方の「宝塚ファミリーランドとディズニーランドの比較考察」を援用して論じている*2。無知と不勉強を告白するが、鍋倉紀子という方のお名前さえ存じ上げないので、人物情報・書誌情報など御存知の方が御教示下されば幸いである。また、「宝塚ファミリーランド」というのも(関東人なので)よくわからない。ここら辺はもしかして魁生姐さんの守備範囲か。さて、「宝塚ファミリーランドに代表される「遊園地」は一人で行っても面白くない」、「ホスト役の父、サポート役の母、そしてその「サービス」を受ける子ども、という図式がないと「遊園地」は面白くないのだそうだ」ということである。そして、(世界システム論者ではない)Wallersteinさんは「阪急の原形である箕面有馬電気軌道」について、「起点の梅田にはデパートを、終点の宝塚と箕面には娯楽施設を、そしてその中間には住宅街を、それぞれ配置する」といい、「生活する人々のモデル」について、


お父さんは都心の会社に阪急電車で通勤。駅から家までは徒歩圏内。住宅街が出来れば学校もできる。子供たちは住宅街にある学校に通う。場合によっては阪急に乗って通学もするだろう。週末には電車にのってリゾート。デパートで買い物、食事もよし、自然に触れあうもよし、遊園地に行くのもよし。生活の中にいつでも阪急の姿があった。民鉄はこぞって阪急モデルを採用した。関西では競争関係にある国鉄に完勝した。私鉄王国と呼ばれた。それは阪急モデルが生活の中に根付いていたからだ。
という。
これは例えば「宝塚ファミリーランド」を向ヶ丘遊園に、「梅田」を新宿に、「阪急」を小田急に置き換えれば、関東でも十分に通用するモデルになりうるのではないかと思う。また、さらに一般化すれば、磯村英一の生活空間論を家族社会学的に補強したものということもできようか。
さて、「阪急モデル」の衰退についてだが、

マンションは郊外ではなく都心に作られる。都心の方が大人にとっての楽しみが多いからだ。阪急モデルでは大人は大人、子どもは子どもであることを求められていた。しかし今、大人たちは子どもと一緒になって、大人の楽しみを楽しみたい。居酒屋に子どもを連れてくる。子どもも楽しめる居酒屋が現在求められている。そこでは従来のファミリーレストランとは異なる風景が現出している。
といわれている。ここでは2つのことが言われていると思う。1つは「大人」/「子ども」という世代的な役割関係の希薄化。もう1つは「都心」部の住宅地としての復権。前者についてはよくわからない。後者については、直接の契機としてはバブルの崩壊による地価の下落と高齢者の都心回帰が挙げられるだろう。はたしてこれが戦後的なライフスタイルを基本的な準位で変容させる契機となるのかどうかもわからない。ただ、興味深いのは、1990年代後半から三浦展松原隆一郎を代表とする〈反郊外〉の思想が表面化してきていることである。このこととどう響き合うのか。ところで、「阪急モデル」、(一般化して)郊外−都心の機能的分離というのは〈米国化〉の一環であった。とすれば、「阪急モデル」の衰退というのは脱〈米国化〉を意味しうるかも知れない。それが欧州型の都市社会へ向かうのかどうかはわからないが。
上海はといえば、一方で都心への吸引力も強いものの、それ以上の勢いで(日本から数十年遅れることの)郊外化が(これまた急激なモータリゼーションと相俟って)進んでいるといえる。