「バカ女」を超えて

「野田数に「箝口令」を敷かせる小池百合子とその小池にすり寄る前原誠司(呆)」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170824/1503529117


都民ファシストの会もとい「都民ファーストの会」による所属都議会議員どもに対する言動統制を取り上げた『報道ステーション』のトランスクリプション*1を引く。
感想だけれど、日本ではこれまで右の自民党にしても、左の社会党(現在でいえば民進党)にしても、党員の統制がルーズな政党が主流を占めてきた。勿論、小選挙区政党助成金という制度によって、政党の中央集権化は進んでいる。それにしても、これはさらにその先を進んでいるよね。下っ端の議員の言動は、リーダー(野田数)*2のコピーでなければならないというわけだ。さらにその先にあるのは、マイクを向けられると党の建前を自らの本音であるかのように得々と語るクローンのような民衆の姿ということになるのだろうか*3。勿論、野田は代議制民主の基本的ロジックについて無知である、或いは知っていながら無視しているという批判は可能だろう。新人でも党幹部のような大物であれ、選挙民の代表として当選した時点で、同等の特権と(選挙民に対する)責任を有する。しかし、スターリン主義ファシズム政党の場合、(党外である)選挙民への責任などより、党内の上下関係(ヒエラルヒー)が重要だということになる。今は東京ローカルの存在だけど、ナショナルな存在としてこれから構築されつつあるのは、そのような全体主義的政党なのかも知れない。それも、フォーマルな組織よりも個人(頭目)の圧力が強いだろうということで、旧蘇聯共産党のようなオーソドックスなスターリン主義政党よりも朝鮮労働党とかに近い感じの。