「兵士」の「総括」

今月は連合赤軍による「あさま山荘事件*1からちょうど半世紀。2月16日付の『毎日新聞』では、それに因んで、植垣康博、小杉亮子、西田慎の3名へのインタヴューを行なっている。ただ、どれも、話の中心は「あさま山荘事件」よりもその前段としての山岳キャンプにおける「同志」に対するリンチ殺人になっている。
先ずは、「元連合赤軍兵士」の植垣康博氏;


鈴木英生*2「「自立」なき兵士たちの過ち 植垣康博


曰く、


事件の原因でまず挙げられるのは、大衆運動や革命を指導する前衛党の組織論だ。指導部がすべてを決定し、下部は絶対服従するというロシア革命以来の考え方である。この組織論が、ソ連や中国、カンボジアなどで粛清や虐殺を起こした。私たちも、規模は違えど同じ過ちを犯した。

あの頃、全世界にベトナム反戦運動が広がり、日本でも全共闘三里塚闘争など真新しい大衆的な運動が高揚した。だが、大衆運動だけでは機動隊にすら勝てない。先の展望が見えない。革命の突破口を開こうと、爆弾などの武装闘争に活路を求めた若者も少なからずいた。しかもその際、旧来の前衛党型組織に吸い寄せられた。私も、前衛党主義で連合赤軍の前身だった赤軍派の兵士になった。
山岳ベース(山小屋)を米軍から武器を奪う出撃拠点にするつもりが、別の党派の革命左派も合流して軍事訓練が始まった。両派が合流して連合赤軍を結成。メンバーが過去の言動や行動を総括(反省)して革命を担える戦士になるまで山を下りないことになった。何の計画性もなく、話がころころ変わった。私は「なるようにしかならない」とやけくそになった。
総括の「援助」と称して、運動部的なしごきと暴力が始まった。連合赤軍の指導者だった森恒夫は、以前剣道で気絶して意識が戻ったとき、「全てを受け入れられるようになった」経験から、殴って気絶させればメンバーが総括しきれると考えた。後のオウム真理教の修行と似ている。当時は、親が子どもにしつけとして暴力を振うことも珍しくなく、暴力のハードルは低かった。
リンチなどの末に人が死ぬと、森ら指導部は「敗北死」「高次な矛盾」などと解釈した。一般に「難しい言葉」を使いこなす人は偉いと思われがちだった時代だ。難解な論理を展開されると、「何かおかしい」と思っても受け入れてしまう。極寒の山中で1カ月強。あっという間に12人が死んだ。