坪内祐三

最初は研究社のツィートで知った;


朝日新聞』の記事;

評論家の坪内祐三さん死去 61歳 エッセーや書評人気

2020年1月14日 15時57分


 評論家の坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)さん*1が13日、心不全で死去した。61歳だった。通夜は22日午後6時、葬儀は23日午前9時30分から東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は妻文子(あやこ)さん。

 1958年、ダイヤモンド社元社長の坪内嘉雄さんの長男として生まれた。雑誌「東京人」編集者を経て独立。コラム、書評、評論など執筆活動を始める。夏目漱石南方熊楠ら同年生まれの青春時代をたどる2001年の「慶応三年生まれ 七人の旋毛(つむじ)曲(まが)り」で講談社エッセイ賞を受賞した。03年から15年にかけて季刊雑誌「en(エン)―taxi(タクシー)」に福田和也さんやリリー・フランキーさんらと責任編集として関わった。

 著書に「ストリートワイズ」「靖国」「古くさいぞ私は」「人声天語」などがある。また、「酒中日記」などの日記エッセーも数多く手がけた。週刊文春文庫本を狙え!」などを連載中だった。
(後略)
https://www.asahi.com/articles/ASN1G5665N1FUCVL017.html

靖国 (新潮文庫)

靖国 (新潮文庫)

  • 作者:坪内 祐三
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2001/07/30
  • メディア: 文庫
東京新聞』曰く、

【おくやみ】
坪内祐三さん死去 多彩なエッセー、評論

2020年1月15日


 多彩なエッセーやコラムなどで知られた評論家の坪内祐三(つぼうちゆうぞう)さんが十三日午前一時五十六分、急性心不全のため東京都品川区の病院で死去した。六十一歳。東京都出身。葬儀・告別式は二十三日午前九時半から東京都渋谷区西原二の四二の一、代々幡斎場で。喪主は妻文子(あやこ)さん。

 月刊誌「東京人」の編集者を経て評論家に。「文庫本を狙え!」「新書百冊」などの読書案内のほか、靖国神社を文化史的にとらえた「靖国」、エッセー集「酒中日記」など著書多数。夏目漱石正岡子規らの青春を追った「慶応三年生まれ 七人の旋毛(つむじ)曲り」では講談社エッセイ賞を受けた。

 文芸の枠を超え、政治から相撲まで多彩な評論活動を週刊誌などで展開。最近も「文芸春秋」などで連載を続けていた。

 ◇ 

 本紙では二〇一七年五~六月、「私の東京物語」(全十回)を執筆した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2020011502000131.html

坪内氏は教育制度的に言うと、私よりも2学年上なのだが、浪人とか留年があって、結局学士終了の時点では、私が追いついたことになる。まあどうでもいい話だ。このように、ほぼ同時代人なのだが、自伝的な同時代史『一九七二』にも明らかなように、「連合赤軍」がその後の知的成熟に深刻な影響を刻んでいるといえる。あさま山荘事件の時にまだ小学生だった私は、それほどの影響は被っていない。また、坪内氏がボブ・ディランニール・ヤングといった北米大陸のフォーク・ロックの大ファンだったということは記しておかなければならない。早稲田文学』2006年11月号に載った坪内氏と重松清との対談の一部;

[坪内]いまは情報にとにかくアクセスしやすいよね。ネットだけはなく、たとえば音楽にしても、昔だったら歌謡曲から入ったでしょう。それがロックに行っても、最初はありきたりなヤツなんだけど、だんだん自分のなかでジャンルが深まっていって、それなりのレコード屋に行かないと買えないのを探すとか、どんどんどんどん学習していく。でも、いまはそういう学習をしなくても、直接かなり深いレベルに行っちゃうじゃない? だからそれが幸福なことか、不幸なことかはわからないけど。
[重松]たとえばどんな?
[坪内]福田和也さんのゼミに、「すごくボブ・ディラン好きな学生がいて、彼のリクエストで坪内さんに話してほしいんだけど」って言われて授業に行ったんだけど、その彼がすごくディープなわけ。オレなんかよりずっと詳しいの。僕らのころだと、ディランってまずプロテストソングのひととして知るじゃない? それが次第にロックになり、エレクトロニックになって……みたいな。でも、彼らそういう段階を踏まないで、いきなりボブ・ディランと(アメリカン・)ルーツ・ミュージックの関係なんか語れちゃう。ロバート・ジョンソンからの影響にしても、僕らのころはそのレコードが日本で手に入るかどうかみたいな感じだったから、ディランとの関係なんてグリル・マーカスあたりを読んでいかないと見えてこない。でも、いまの若いひとたちだと、ディラン好きになって3カ月後にはディランとブルースの関係とか、ルーツ・ミュージックの関係をコアに知ってるし、レコードも手に入れられちゃうからね。
[重松]「変遷」とか「変貌」とかのプロセスを、困惑したり意外に感じながら受け取っていくんじゃなくて、一気に「歴史」にアクセスしちゃう感じですよね。
[坪内]ちょっとかわいそうですよね、「発見する喜び」がないから。映画でも、僕が大学3年か4年ぐらいのときにようやく家庭用ビデオが普及してきたけど、まだ高くて買えない。しかもソフトの数は少ないし、いわゆる古典的名画、例えば50年代60年代のヒッチコックの映画なんか名画座やシネマライク*2でも上映されることはなかった。だから『めまい』とか『裏窓』がすごいと蓮實(重彦)さんとかが言ってても、実際には観ることができないから、晶文社が出した『映画術 ヒッチコックトリュフォー』(1981)っていうデカイ本を読んで、妄想を膨らまして観た気になる(笑)。いまはヒッチコックなんて序の口で、なんでもDVDで手に入るでしょう? 小津安二郎なんか、残されてる作品がぜんぶDVDになって、次は成瀬(巳喜男)で今度は溝口(健二)だ、みたいな。昔だったら、「小津が好き」とか言っても、5本以上観るにはそれなりに手間暇かけないといけなかったんだよね。
[重松]ということは、「体験」がなくなっちゃてるのかな。映画館に行くとか、雑誌を探すとか、そういう体験ぬきで知識が手に入る。「頭でっかち」という意味じゃないんだけど……。
[坪内]身体性がないよね(p.23)。
Cited in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20061212/1165946447