日独比較

承前*1

連合赤軍の「あさま山荘事件」50周年に因んで。

鈴木直*2「「若者の反乱」独では遺産も 西田慎」『毎日新聞』2022年2月16日


西田慎氏*3は独逸現代史の研究者。1970年生まれなので、「連合赤軍事件」や「あさま山荘事件」のリアル・タイムでの記憶はない筈である。
日独の違いは「仲間を殺害する内ゲバ」の有無ということになる。


ドイツでは、70年代に赤軍派が銀行強盗をしたり、米軍施設や警察を襲撃したりしていた。72年に結成メンバーである「第1世代」の多くが逮捕された。これに続く第2世代は、第1世代の奪還を目指してテロを繰り返し、77年には経済界トップでナチス親衛隊将校の経歴を持つシュライヤー氏を誘拐した。彼らは収監されている第1世代の釈放を求めたが、政府は拒否。赤軍派はシュライヤー氏を殺害した。この事件をピークにテロは下火になっていく。
赤軍派に限らず、当時のドイツの若者を突き動かしていたのは、親世代がナチスの犯罪を直視せず、「過去の克服」に向き合っていないことへの怒りだった。ナチスの犯罪に、間接的であれ加担した親や祖父母の世代との世代間対立の構図だ。当時の運動に対しては、「集団的父親殺し」との見方もある。
これに対し、日本では「過去の克服」を前面に出す印象は薄いように思う。大学紛争は「戦時中の大学教授らの過去を問う」というよりも、学費値上げや教育の質の低下といった身近な問題が発端だった。ベトナム反戦運動でも、「日本は加害者だ」という認識はあったが、少なくとも当初は、再び戦禍に巻き込まれ、被害者を出してはいけないとの考えから運動に参加したという人が少なくなかった。

過激化した運動のピークを、ドイツではシュライヤー氏殺害事件、日本ではあさま山荘事件と考えると、「終わり方」に大きな違いがある。
ドイツでは、シュライヤー氏の殺害と前後して、独房に収監されていた赤軍派の第1世代の3人が一斉に自殺した。しかも、首をつった1人の写真が週刊誌に出た。政府は自殺だと発表したが、左翼の抗議デモが起きた。シュライヤー氏が経済界の大物で、かつ元ナチスという「あしき過去」の象徴とも言える人物だったこともあいまって、第1世代の3人には一部であれ「殉教者」のイメージが付くことになった。
一方、あさま山荘事件では、死体を掘り起こすという警察による演出めいた面はあるものの、凄惨な「同志殺し」が発覚したことで多くの人が運動から離れた。
西田氏によれば、そのことによって、「ドイツでは今でも赤軍派にシンパシーを持っている人はいないことはないが、日本で連合赤軍を肯定的に捉える人はほとんどいないだろう」という。
日本で「過去の克服」を正面から掲げたのは、連合赤軍が壊滅した後に登場してきた東アジア反日武装戦線*4からだったろうと思う。また、ヴェトナム戦争は当時の日本人にとっては、独逸人よりも遥かに深刻な問題として感じられていたのではないか? 何しろ、日本国内にある米軍基地からヴェトナムの船上に向けて連日出撃がなされているのを、メディアが伝えていたわけだから。ヨーロッパでは冷戦しかなかったけれど、亜細亜では熱い戦争が展開されていたわけだ。それから、「あさま山荘」を日本における「過激化した運動のピーク」と捉えることは妥当なのだろうか。連合赤軍はその凶悪性や凄惨性のために悪目立ちしているけれど、当時の新左翼業界の中でも小集団に過ぎなかった。私は、それよりも、数の上では新左翼のなかでも主流派だった中核派解放派が1970年以降内ゲバ戦争の沼に入り込んでしまったこと*5の方が日本の左翼運動へのダメージ、あるいは右傾化への寄与は大きいのではないかと思っている。さて、独逸で「赤軍派にシンパシーを持っている人」と「日本で連合赤軍を肯定的に捉える人」の差なんて、統計数字としてわかるのだろうか。何しろ、独逸赤軍派(バーダー=マインホフ集団)の結成それ自体に、西独の左翼運動を暴力化し・西独社会を混乱させようとした東独の秘密警察(Stasi)の陰謀が絡んでいたことが暴露されているのだった*6