加藤周一など

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20081206/1228523319にて知る。
『毎日』の記事2本;


訃報:「日本文学史序説」加藤周一さん死去=89歳

 戦後を代表する知識人の一人で、芸術から時事問題までリベラルな立場から幅広く発言してきた評論家、作家の加藤周一(かとう・しゅういち)さんが5日、死去した。89歳。葬儀は近親者で営み、後日、お別れの会を開く。喪主は妻矢島翠(やじま・みどり)さん。

 加藤さんは東京都出身。旧制一高時代、後に小説家となる故中村真一郎、故福永武彦らと知り合う。東大医学部卒。47年、共著のエッセー集「1946 文学的考察」で文壇に登場。長編「ある晴れた日に」などで小説家としても名をなした。55年、評論「日本文化の雑種性」を発表。論壇で注目された。

 文学研究では、思想書から大衆文学にまで目配りした「日本文学史序説」で80年に大佛次郎賞。同書は英、仏、伊語などに訳された。ほかに「羊の歌」「二〇世紀の自画像」など。海外の大学のほか、上智大、立命館大で国文学などを教え、東京都立中央図書館長も務めた。

 晩年は「九条の会」呼びかけ人として、憲法改正反対を訴えた。00年に仏政府からレジオン・ドヌール勲章。渋沢・クローデル賞現代フランス・エッセー賞の選考委員も務めた。
http://mainichi.jp/select/today/news/20081206k0000m040160000c.html


加藤周一さん死去:国際的な知識人 「九条の会」一貫した主張
 5日、89歳で死去した評論家の加藤周一さんは、「雑種文化論」など幅広い評論で知られた。ヨーロッパの大学で初の日本人の主任教授となるなど、国際的知識人として活躍。時事問題でも積極的に発言した。

 1951年からフランスに留学。帰国後、カナダ・ブリティッシュコロンビア大教授などを経て、69年、ベルリン自由大東アジア研究所日本科主任教授に就任。日本文学などを講義した。76年に上智大教授となって以降も、スイス・ジュネーブ大、英ケンブリッジ大の客員教授を務めた。

 論壇での「雑種文化論」も、最初の海外経験でヨーロッパ文化の統一性に打たれたことから生まれた。日本文化を元来の日本的なものと西洋化されたものの絡み合いと再定義した。後年、幅広い知見を生かして、平凡社「大百科事典」編集長も林達夫から引き継いだ。朝日新聞の連載エッセー「夕陽妄語」は、84年から24年間続いた。

 被爆直後の広島を、医学調査団の一員として訪れた経験もあり、時事的発言では、軍国主義復活の危険性と民主主義の徹底を訴えた。60年代はベトナム戦争に反対。80年代は原水爆禁止世界大会に出席したり、防衛費GNP1%枠突破を批判。90年代の政界再編を戦前の「『翼賛議会』に限りなく近づく」と問題視した。

 晩年も、教育基本法改正に反対したり、「九条の会」で「武力によらない平和外交の方がはるかに現実的で経済的」などと主張。戦後民主主義を代表する知識人として、最後まで一貫した主張を展開した。【鈴木英生】

 ◇哲学者の鶴見俊輔さんの話
 加藤さんは10歳代前半から既に日本の軍国主義に疑いを持っていた。その思いは今日まで持続し、戦争を起こす人間の存在そのものを原理的に考え、言論活動を通じて戦争のもたらす悲惨さを訴えた。

 彼の知的背景には思想、哲学、文学、美術など人類が築き上げてきた芸術への深い理解と愛があったと思う。加藤さんのような人を真の意味での知識人と呼びたいし世界でもまれな存在だった。

 ◇後日お別れの会
 葬儀は近親者で営み、後日、お別れの会を開く。喪主は妻矢島翠(やじま・みどり)さん。

毎日新聞 2008年12月6日 東京夕刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081206dde041040072000c.html

もしかして、丸山眞男の死よりも大きな意味を持つのかも知れない。
ひとつ記しておくと、多くの戦後知識人にとっての〈西洋〉があくまでも書物の中の〈西洋〉であったのに対して、加藤氏の場合は(鶴見俊輔が〈ナマの米国〉を知っていたのと同じ意味で)〈ナマのヨーロッパ〉を知っており、その説得力のうちの幾つかはそこにあったともいえる。氏の「雑種文化」論には完全に賛成はできないが(というよりもその問題の立て方が問題だといえるだろう)。ところで、ここで加藤氏が〈死〉について正面から論評した書物、マイケル・ライシュ、ロバート・リフトンとの共著、『日本人の死生観』をマークしておくというのも追悼に相応しいか。
雑種文化 日本の小さな希望 (講談社文庫 か 16-1)

雑種文化 日本の小さな希望 (講談社文庫 か 16-1)

日本人の死生観〈上〉 (1977年) (岩波新書)

日本人の死生観〈上〉 (1977年) (岩波新書)

日本人の死生観〈下〉 (1977年) (岩波新書)

日本人の死生観〈下〉 (1977年) (岩波新書)

See also


http://kagari-tachibana.seesaa.net/article/110765823.html
http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/200812060000/


さて、作曲家の遠藤実も亡くなったという。


訃報:遠藤実さん76歳=戦後の歌謡界を代表する作曲家

「からたち日記」「高校三年生」「北国の春」などを作曲した戦後歌謡界を代表する作曲家、遠藤実(えんどう・みのる)さんが6日午前10時54分、急性心筋梗塞(こうそく)のため死去した。76歳。葬儀は親族のみで営み、日本作曲家協会葬を後日開く。喪主は長女由美子(ゆみこ)さん。

 1932年、東京生まれ。新潟県で育ち、49年に上京、流しの演歌師をしながら独学で作曲を学んだ。57年の「お月さん今晩わ」以来、演歌を中心に5000曲以上の楽曲を世に送り出した。代表曲は「からたち日記」(島倉千代子)、「高校三年生」(舟木一夫)、「せんせい」(森昌子)、「星影のワルツ」(千昌夫)、「夢追い酒」(渥美二郎)、「みちづれ」(牧村三枝子)など。舟木や千など多くの歌手を育てたことでも有名。

 95年に日本音楽著作権協会会長に就任。05年から日本作曲家協会会長を務めていた。03年には歌謡界で初めての文化功労者に選ばれた。

遠藤実さんの代表作品>

からたち日記 (島倉千代子

哀愁出船   (美空ひばり

高校三年生   (舟木一夫

こまっちゃうナ(山本リンダ

星影のワルツ   (千昌夫

ついて来るかい  (小林旭

せんせい     (森昌子

くちなしの花   (渡哲也)

北国の春     (千昌夫

みちづれ(渡哲也/牧村三枝子

夢追い酒    (渥美二郎)

男の人生    (杉良太郎
http://mainichi.jp/select/today/news/20081206k0000e040070000c.html