承前*1
小国綾子*2「繰り返さぬために「自由」を 小杉亮子」『毎日新聞』2022年2月16日
小杉亮子さん*3は歴史社会学、社会運動論を専門とする。1980年生まれで、当然ながら「あさま山荘」に至る「連合赤軍事件」を生で経験してはいない。
「日本全体が右傾化する今、連合赤軍事件はますます理解されづらくなっている」という。
しかし、60年代後半の学生運動や連合赤軍事件は、丁寧に見ていけば当時生まれていなかった者にも了解や共感が可能で、そこからくみ取れることもある。まず「ベトナム戦争反対」は当時多くの学生の共通認識だった。親や親戚が太平洋戦争に関わったり、原爆や空襲の被害者だったりする若者もまだ多く、日本がベトナム戦争に「加担」しているという社会の不正を見逃せなかった。ゲリラ戦で政権を倒したキューバ革命の記憶は新しく、社会変革を目的とした実力行使についての考え方も今とまったく違っていた。
上意下達の軍隊的な組織や、体制転覆という目的のために個人よりも組織が優先されるというロジックは、連合赤軍に限らず当時の新左翼党派なら持ちえたものだった。社会の不正義をただそうと運動に飛び込んだ若者の中に、さまざまな経緯で連合赤軍に至り、山岳ベースをつくった者がいた。外界から閉ざされた集団の中で隘路に陥った。それが連合赤軍事件だったのではないか。
今後の社会運動が連合赤軍のような過ちを繰り返さないために必要なのは何か。私は最近、キーワードは「自由」なのではないかと考えている。当時も党派に属さない学生たちを中心に、自由な運動体を模索する動きはあった。東大闘争では水平的な組織づくりを試み、全員が合意形成に参加できるよう議論を重ねた。しかし当時の東大生の女性比率はわずか4%。そこで模索された自由とは、知的体力のある男性中心の自由に過ぎなかったかもしれれない。
多様な人々を対象とした自由の尊重は、近年の反グローバル化運動に見いだすことができる。08年の北海道洞爺湖サミットでは、サミットに反対する活動家が世界中から集結した。多様なバックグラウンドを持つ活動家たちが自分らしく活動できるよう、ビーガン(動物性のものを食べない人)向けの食事が提供され、どんな性自認の人も心地よく仕えるトイレがつくられた。自由の実現とは、それほど繊細な配慮を要するのだ。
*1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2022/02/17/131528
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20070420/1177093181 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130130/1359564569 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20140721/1405873723 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20150424/1429844873 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/04/125229
*3:https://researchmap.jp/kosugi_r See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/25/114820