「天皇制」と「戸籍」など

鈴木英生*1「そこが聞きたい 天皇と戸籍 政治学者 遠藤正敬氏」『毎日新聞』2020年4月7日


皇族には「戸籍」がないこと;


「家」単位の国民登録である戸籍は、日本独自の制度だ。元々、戸籍は天皇が「国民」に与えたもの。戸籍の有無は、天皇と皇族を一般国民と区別する最大の基礎になっている。だから、個々の「家」の標識となる氏も姓も、皇族は持っていない。言い換えると、天皇家は、個々の私的立場を持つ「臣民」に対して、「無私」の存在とされてきた。戸籍を与えられた国民にとっての「宗家」(本家)であり、「『家』の模範」たることを求められ続けるわけだ。
ジェンダー的な「非対称性」;

そもそも、皇族と一般国民の結婚には、「非対称性」がある。女性皇族は一般国民と結婚したら皇籍を離れるが、男性皇族は結婚しても皇族のままだ。一般国民と結婚した元皇族の女性が離婚しても、「実家」に戻れない。いったん「臣民」になったら、再びは皇族になれないからだ。明治期に強まった「君臣の別を厳然とすべし」という原則と、家父長制や男尊女卑の思想が入り交じって、今も生きている。
女帝或いは「女系」の天皇について;

明治期に旧皇室典範をつくる際、女性・女系天皇を認める案もあった。反対論は、女性天皇の夫を臣民から迎えた場合、その皇子が「異姓」の子となる、というものだった。当時の常識では、「家長」は男性だ。だから、女性天皇と臣民との間の子は、皇族なのに臣民の子にも見えてしまう。今の女性・女系天皇論議でも話は変わらない。女性天皇が一般国民から夫を「入り婿」に迎えても、彼は「異姓」だとして拒もうとする意識が「保守」層に残っている。明治天皇までは当然だった側室制度が今は認められず、かといって皇族は、一般国民のように養子を迎えることを皇室典範が禁じている。日本は元々、家を維持する目的から養子に抵抗感がなく、血統意識は緩かった。明治期になって、血統の純粋性に固執しだしたうえ、西洋的な結婚観をあてはめてしまい、皇統の男系男子主義に無理が出てきた。

かつて、皇統は今よりも柔軟に維持されてきた。平安時代には、いったんは皇籍から離れたが、復帰して即位した宇多天皇の例もある。次の醍醐天皇にいたっては、宇多天皇が臣民だったときの子だ。「万世一系」は、政治的フィクションだ。皇族の結婚にしても、戦前は、植民地だった朝鮮の王族に皇族が嫁いだこともあった。今、皇族が国際結婚するとしたら、どんな反響があるだろうか*2同性婚も議論されるなど国民の家族形態が多様化し、戸籍制度とは矛盾をきたす一方である。天皇制を存続させたいのならば、天皇家を国民の家族観とかけ離れた存在へと追いやるのは得策ではあるまい。(後略)