「こんなものは文学じゃない。これはただの商品だ」

先ず『毎日新聞』の記事;


村上春樹>直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却

 「ノルウェイの森」などで知られる人気作家、村上春樹さんの直筆原稿が、本人に無断で古書店へ大量流出していたことが分かった。10日発売の「文芸春秋」4月号に、村上さんが寄稿して流出を明らかにした。村上さん以外にも、本人に無断で直筆原稿が売られている作家はいるとみられ、業界のモラルが問われそうだ。【鈴木英生】
 村上さんの寄稿「ある編集者の生と死」などによると、流出したのは米国の作家、スコット・フィッツジェラルドの小説「氷の宮殿」を村上さんが翻訳した原稿73枚など。中央公論社(現中央公論新社)の文芸誌「海」80年12月号に発表されたこの翻訳をはじめ、同誌掲載の原稿が流出した。
 中央公論新社が調べたところ、当時の中央公論社は直筆原稿を倉庫で保管していた。ところが、「海」の名物編集者だった故・安原顕さんは、村上さんら担当した作家の原稿を多数、社に無断で自宅へ持ち帰っていた。安原さんは、これらを亡くなる前年の02年から順次、古書店に売ったとみられる。没後も、書庫の中身を処分してほしいという遺志に沿い遺族が古書店に売ったが、プラスチックケースに入っていたため原稿だとはっきり分からなかったらしい。
 「氷の宮殿」の場合、同年夏に東京・神田神保町古書店に渡り、100万円以上の値段がついた。この古書店毎日新聞の取材に対し、「うちで扱ったのはこの1作だけ。いつ売れたかなど、詳しいことはお答えできない」と話した。
 村上さんは、寄稿で「安原さんが何故(なぜ)そんなことをしなくてはならなかったのか、僕にはその理由がわからない」と指摘し、「明白に基本的な職業モラルに反しているし、法的に言っても一種の盗品売買にあたるのではあるまいか」と非難している。
 全国古書籍商組合連合会は「古書店は、直筆原稿が市場に流れたいきさつを調べきれない例も多い。作家から抗議を受けた際の対応は、連合会では決めていない」としている。
 安原さんは、「海」のほか「マリ・クレール」「リテレール」など各誌の編集を手がけ、文芸評論家としても活躍した。97年にフリーとなり、「天才」を自称して辛口の書評やジャズ評論で人気を集めた。03年1月、肺がんのため死去した。
 同様の事態が表面化した例としては03〜04年、破産宣告を受けた版元から東京都内の古書店に、弘兼憲史さんら漫画家の直筆原稿約3000枚が流出した。この時は訴訟の末に古書店が無償で弘兼さんに原稿を返した。
 ◇誠意を持って対処
 ▽中央公論新社のコメント 村上氏にはご迷惑をおかけし、申し訳ないと思っています。流出過程はすでに調査しました。関係者が死亡しており、判然としないところもありましたが、調査結果は村上氏に説明しました。今後については、村上氏と協議しながら、誠意を持って対処します。
 ◇問題にすべき状況
 ▽作家で日本文芸著作権センター事務局長の三田誠広さんの話 最近は刊行後に作家へ原稿を返す出版社が多いが、以前は返したり返さなかったりだった。古書店に並ぶ存命の作家の原稿は、本人に無断で流出した可能性が高い。問題にすべき状況だ。
毎日新聞) - 3月10日3時7分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060310-00000014-mai-soci

村上春樹のメモワール自体を読んでいないので、それについて詳しいことはいえない。ただ、内田樹*1

作家の直筆原稿という生々しいオブジェを換金商品として古書店に売り飛ばしたというところに私は安原の村上春樹に対する憎悪の深さを感じる。
原稿を「モノ」として売るということは、作品をただの「希少財」(珍しい切手やコインと同じような)とみなしたということである。
死にかけた人間がいくばくかの金を求めてそんなことをするはずがない。
これはおそらく作品の「文学性」を毀損することだけを目的としてなされた行為と見るべきだろう。
「こんなものは文学じゃない。これはただの商品だ」
安原顯はそう言いたかったのだと思う。
死を覚悟した批評家が最後にした仕事が一人の作家の文学性そのものの否定であったという点に私は壮絶さに近いものを感じる。
と書いている。たしかにこの解釈を真に受ける限り、「壮絶さに近いものを感じる」。これはありうる解釈だろう。ただ、この解釈の妥当性を検証する術は持っていない。取り敢えずメモをした次第。
内田氏の文章は、「作家」と「批評家」、「作家」と「編集者」のそれぞれに需められる資質の差異を示唆している。これも重要な論件だと思うが、ここでは論じる余裕はない。また、

どうして村上春樹はある種の批評家たちからこれほど深い憎しみを向けられるのか?
この日記にも何度も記したトピックだが、私にはいまだにその理由がわからない
けれどもこの憎しみが「日本の文学」のある種の生理現象であるということまではわかる。
ここに日本文学の深層に至る深い斜坑が走っていることが私には直感できる。
けれども、日本の批評家たちは「村上春樹に対する集合的憎悪」という特異点から日本文学の深層に切り入る仕事に取り組む意欲はなさそうである。
ととも書かれている。村上春樹に対して「集中的憎悪」が存在するのかどうかはわからない。たしかに村上春樹を酷評している批評家は具体的に思い浮かぶ。しかし、それが「集中的憎悪」かどうかはわからない。
何をいいたいのかというと、別にいうことはないというか、何をいっていいのかわからないのだ。しかし、それではあまりにあれなので、無駄口の2つや3つは叩こうと思う。
安原顯という人が編集者として凄い人だったのは今更いうまでもないだろう。彼がいなければ、蓮實重彦鷲田清一といった人々の存在が仏蘭西文学や哲学という専門的なサークルを越えて一般に知られるようになったかどうかは怪しい。フーコーにしてもそうである。文章家としての安原顯については、死の直前に幻冬舎のPR雑誌に連載されていた日本の短編小説を読むというような企画が好きだった。事実、これを読むことによって、私は〈私小説〉というものに対するスタンスを変えた。
村上春樹について。ちょっと以上に文学について知っている(と思い込んでいる)人に向かって、村上春樹が好きだというのは恥ずかしいという雰囲気があったのはたしか。しかし、誰が何といおうと、村上春樹の短編は好きである。特に「パン屋再襲撃」とか(と告白)。それから、藤井省三氏などによると、村上春樹が〈世界文学〉に躍り出たのは、『ノルウェイの森』以降であるが、私はグローバルなトレンドとは逆にそれ以降村上春樹には冷めてしまった。短編作家として再発見したのはその数年後のこと。たしか、山田詠美が褒めていたのを真に受けた結果だったと思う。
そういえば、1980年代に村上春樹に対して「集中的憎悪」を燃やしていたのは、日本共産党だったような気がする。ある時、共産党系の雑誌を立ち読みしていたら、その筆者の名前も忘れてしまったが、村上春樹に対する罵詈雑言の連発の文章があった。特に印象に残ったのは、『風の歌を聴け』の中の古墳が出てくる一節を取り上げて、だから村上春樹天皇主義者だと断定していた部分。私はずっと(その政治的スタンス以上に)日本共産党的というか民青的なtasteに対しては軽蔑と憎悪しか持っていなかったので(今でもそうだけれど)、それを読んだ瞬間、共産党に憎まれる→これは凄い!と落胆とも歓喜ともいえないような、そのどちらでもあるような複雑な感情を経験した。因みに、『風の歌を聴け』の件の部分は、今でも私の言語に対するスタンスにどこか重要なところで影響を与え続けている。