荘/孟

興膳宏『中国名文選』*1から。
荘周と『荘子』について、孟子*2と関連させて説明している*3


荘子』は、いわば隠者の哲学であり、現実社会への働きかけを重視する儒家に対しては、徹底した批判と揶揄の姿勢を取りつづける。荘周とほぼ同時代に活躍した儒家には孟呵(孟子)がある。先に孟子の対話相手として登場した梁の恵王は、『荘子』養生主篇などでも現れており、二人の思想家にとって、ともに関係を有する人物だったことが知られる。また、荘子の諭敵でもあり、親友でもあった恵子(恵施)は、『荘子』に欠かせない存在だが、彼は恵王の下で宰相を務めた人だった。だから、荘周と孟呵が知りあいの中であっても不思議はないだが、彼らのお互いの著作には、全く相手の名が見えない。
彼らが互いを意識しながら、故意に無視する態度を取っていたかどうかは分からない。ただ、思想的には全く性質を異にする『荘子』と『孟子』の論述形式には、一つ共通するところがある。それは、両者がともに対話形式による諭の転回を基本とすることであり、また諭の肉づけとして比喩や寓話をしばしば用いることである。それは、両者の思想が同じ時代の雰囲気の中で形成されたことを偲ばせる。だが、同時に形式上の類似性にもかかわらず、その実質において、両者は大きく異なっている。
孟子』では、対話の相手となるのは、梁の恵王や斉の宣王、また弟子の公孫丑や万章といった実在の人物であり、対話の内容もいかにも事実めかして書かれている。それに対して、『荘子』では罔両(陰の周辺にできるうすいかげ)と景(影)が対話したり、孔子が徹底的にやりこめられるという、史実からすればむちゃくちゃな情況設定もある。
比喩や寓話にしても、『孟子』のそれが意表をつく奇抜さを持ちながら、きわめて現実的な教訓を託しているのに対して、『荘子』のそれはあくまでも非現実的で、常識を嘲笑する逆接と皮肉に富んでいる。(攻略)(pp.34-36)