「内」と「外」

野矢茂樹*1言語哲学をはじめる』に曰く、


ある概念に対して、その概念に当てはまる対象を「外延」と言います。そして、その対象を取り出すための属性が「内包」と呼ばれます。素数という概念の場合には、「2,3、5,7、11、13……」が素数の外延で、「1と自分自身以外に約数をもたない1より大きい整数」という定義が素数の内包ということになります。(pp.84-85)
これを読んで、逆じゃないの? と思ってしまった。私の思う「外延」(denotation)と「内包」(conotation)というのは昔読んだロラン・バルトの「記号学原理」*2に基づいている(と私が思い込んでいる)のだけど、「外延」というのは「外」と区別するためのミニマムな定義を謂う。例えば、〈猫〉の外延は


にゃんと鳴く肉食哺乳動物


であり、それによって、犬(わんと鳴く肉食哺乳動物)やドラえもん(機械)などの「外」(非猫たち)と区別される。猫の「内包」はというと、猫が醸し出す様々なニュアンスということになるのだろうけど、それ以前に、猫の多様な品種(暹羅猫や波斯猫など)や多様な模様(キジトラ、サバトラ、チャトラ、三毛など)ということになる。猫/非猫(「外」)との差異、また猫内部での差異(多様性)。「素数」でいうと、「1と自分自身以外に約数をもたない」ということで、非「素数」と区別され、「素数」の内部における多様性として、「2,3、5,7、11、13……」がある。これって、私の誤解或いは記憶違いだろうか?

問題はフレーゲ*3なのだった。「フレーゲは、外延と内包という考え方を概念だけでなく固有名や文にまで拡張します。固有名、述語、文、これらの意味には外延的側面と内包的側面があるというのです」(p.86)。

意味の外延的側面は、フレーゲ母語であるドイツ語では”Bedeutung”と言われます。これは日本で出版された『フレーゲ著作集』では「意味」と訳されています。しかし、言葉の意味について一般的に述べているところでフレーゲの特殊な意味での「意味」を混入させると混乱するでしょう。ですから、ここでは意味の外延的側面である”Bedeutung”は「指示」ないし「指示対象」と言うことにします。
他方、意味のの違法的側面はドイツ語で”Sinn”と言われて、これは「意義」と訳されます。「意義」というと、「重要性」とか「価値」みたいな意味で使われますが、言語哲学では「意義」という用語が定着していますから、私たちも「意義」という言葉を使うことにします。ただし、あくまでもフレーゲが取り上げようとしている内包的な意味の側面を表す言葉であって、「重要性」とか「価値」といった意味あいは含まないので注意してください。(pp.86-87)
こちらの方はまあ納得できる。