5世紀の「近代」

近代以前にも「近代」という言葉は存在した。近い過去の時代という意味で。例えば、藤原定家の『近代秀歌』。しかし、「近代」という言葉は定家によって初めて用いられたものではない。さらに以前から用いられていている。
興膳宏『中国名文選』*1から、劉勰『文心雕龍』*2「物色篇」の一節を孫引きする。『文心雕龍』は5世紀末の南斉で成立した書である。


自近代以来、文貴形似、窺情風景之上、鑽貌草木之中。吟詠所発、志惟深遠、体物為妙、功在密附。故巧言切状、如印之印泥、不加雕刻、而曲写毫芥。故能瞻言而見貌、即字而知時。(後略)(Cited in p.119)
興膳氏は「「近代」の語は、著者から二百年をさかのぼる東晋・宋以降の時代を意識していたはず」という(p.120)。
なお、ここで謂う「風景」は「現代語とは意味が異なり、文字通り風と光を指す」(ibid.)。また、「物色」とは「自然の風物」のこと(p.110)。