老荘、孔荘

菊地章太『儒教道鏡・仏教』*1から。
「老」と「荘」を巡って。


(前略)日本では「老荘」というくらいだから、老子が先で荘子が後だと信じられている。しかし欧米では、とくに最近は荘子が後だと考える人はあまりいない。また、日本では老荘道教と別物あつかいにすることが多い。しかし欧米ではこれをひとつなぎのものとして理解する。ちなみに中国では、老荘の順番については日本と同じ、道教との関係については欧米と同じ意見が多い。(p.27)
荘子」は「老子」より寧ろ「孔子」との関係で考えるべきだということ;

荘子について言えば、老子との関係はとにかくとして*2孔子との関係はきわめて深いものがある。というのは『荘子』のなかには、孔子の教えにあるいは同調し、あるいは反抗し、ときに揶揄した話がたくさんある。かなり身近で意識していたことはまちがいない。欧米人が荘子の位置づけに疑問をいだく理由のひとつもここにありそうだ(中国ではつとに銭穆*3や馮友蘭*4によって、日本でも金谷治白川静神田秀夫各氏による先駆的発言があり、新しくは池田知久氏による指摘がある)。(p.28)。
孔子「揶揄」の例としては、この後に言及されている、「大どろぼうの跖」が孔子に説教する『荘子』の「盗跖篇」*5(pp.28-33)。白川静先生の
孔子伝』*6では、孔子顔回→田子方→荘周という系譜が引かれていた。